1997年 株式会社エム・ディー・エムを創業
阪神大震災で銀行員人生を見直した32歳の三木谷浩史が、1997年2月に東京都港区愛宕で資本金1,000万円のエム・ディー・エムを設立、5月に楽天市場を出店13店で開業。月額5万円の破格設定で個人商店主を取り込み、2000年4月の店頭公開で495億円を調達した。
創業〜設立から上場前後までどのようにして経営を軌道に乗せたのか?
- 三木谷浩史は1965年神戸市生まれ、1988年に一橋大学商学部を卒業し日本興業銀行に入行、1991〜1993年に同行派遣でハーバード・ビジネス・スクールへ留学してMBAを取得した。1995年1月の阪神・淡路大震災で神戸市の親族数名を失い銀行員人生を見直し、1996年5月に興銀を退職、1997年2月7日に東京都港区愛宕で資本金1,000万円の株式会社エム・ディー・エムを設立して仮想商店街の構築に着手した。
- 1997年5月1日、楽天市場が出店わずか13店で開業した。百貨店系バーチャルモールが月100万円単位の出店料を取る時代に月額5万円の固定料金を提示し、複雑なプログラミング不要の編集ツール「RMS」を提供して個人商店主や農家・蔵元まで取り込んだ。初年度の出店獲得は営業メンバーが商店街を1件ずつ訪ね歩く地上戦に依存し、1998年12月約320店、1999年12月約1,800店、2000年12月約4,800店へと出店が拡大した。
- 出店者が契約時に半年分のシステム利用料を一括前払いする前受金型ビジネスで運営コストを抑え、1998年12月期から2期連続経常黒字を達成、1999年6月に楽天株式会社へ商号変更、2000年4月19日に日本証券業協会の店頭市場へ公開し495億円を調達した。同年11月末にはヤフー!ショッピング台頭への危機感からポータル運営のインフォシークを90億円で買収、利益重視路線を曲げて総合メディア企業化へ動き、創業3年で形を整えた。
仮想商店街運営を主目的に発足、出店者の負担を抑える月5万円固定の料金設計と、商店街の店主を1件ずつ訪ね歩く地上戦の営業で出店急増の触媒を作り、店頭公開後はヤフー台頭への対抗から総合メディア企業化へ路線を広げた。
1997年2月の設立時資本金1,000万円、半年分前払いの出店料を前受金として運用、1998年12月期から2期連続経常黒字を計上、2000年4月の日本証券業協会店頭登録で495億円を調達し、調達直後にインフォシーク90億円買収など大型投資へ転用した。
1997年5月1日に楽天市場を出店13店で開業、編集ツール「RMS」で個人商店主のオンラインショップ開設を可能にし、共同購入・携帯対応・楽天ブックス等のサービスを2000年に矢継ぎ早に追加してモール単体依存からの脱皮を試みた。
創業期は商店街の中小零細店主・農家・蔵元が出店者の主軸で、出店数は1997年5月の13店から1998年12月約320店、1999年12月約1,800店、2000年12月約4,800店、2003年1月約6,150店へ急拡大し、月300〜400店の新規出店ペースで全国展開が進んだ。
1997年2月の設立時は三木谷を含む数名の創業メンバーから出発し、出店急増に応じて営業中心に増員、2000年6月期で売上11億円規模、2002年12月期で売上75億円規模となるなか、社員は単体約290名(連結約500名)規模まで拡大した。
創業地は東京都港区愛宕の雑居ビル、1999年に港区六本木へ本社移転、2000年代初頭には目黒区五反田にあった本社で約290人体制を運営、物理拠点よりサーバ・編集システム(RMS)への投資を優先し非店舗型の事業基盤を整備した。
楽天グループ 創業地の主な拠点一都三県 の地理(エム・ディー・エム設立地 → 楽天本社(目黒・五反田期))
創業時のエピソード人物・ブランド・資金調達の細部
| 1995〜1997年 なぜ興銀出身のハーバードMBAが1997年に独立したのか? | 1995年1月の阪神・淡路大震災で親族を失い、銀行員として生涯を終える人生観を見直した三木谷が、米国留学中に見たインターネットの可能性を起業に重ね、1996年5月の興銀退職を経て1997年2月のエム・ディー・エム設立に到った。 三木谷浩史は1965年に神戸市で生まれ、1988年に一橋大学商学部を卒業して日本興業銀行に入行した。1991年から1993年にかけて同行派遣でハーバード・ビジネス・スクールに留学しMBAを取得、帰国後は本店企画部などに在籍している。 1995年1月の阪神・淡路大震災では神戸市の親族数名を失い、銀行員としての安定した経歴を続ける人生観を見直すきっかけとなった。同年に外資系コンサルティング会社クリムゾングループを設立して副業的に始動し、1996年5月に興銀を退職、1997年2月7日に株式会社エム・ディー・エム(M・D・M)を東京都港区愛宕で資本金1,000万円で設立した。社名のM・D・Mは Make Direct Marketing、Mikitani Direct Marketing 等の解釈がある屋号で、創業構想の中心は当初からインターネット上の仮想商店街であった。 |
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| 1997年5月 なぜ月額5万円という破格設定で楽天市場を始めたのか? | 百貨店系バーチャルモールが月100万円単位の出店料を求めていた当時、インターネットの知識が乏しい個人商店主・農家まで取り込むには出店の敷居を一桁下げる必要があり、月5万円固定の「価格破壊」水準が出店急増の触媒となった。 1997年5月1日、楽天市場のサービスが出店わずか13店で開業した。当時のバーチャルモール市場では百貨店系の事業者が月100万円単位の出店料を取っており、インターネットやパソコンの知識が乏しい個人商店主には敷居が高すぎる状況であった。 楽天は月額5万円の固定料金という当時としては破格の水準を提示し、複雑なプログラミング技術を必要としない編集ツール「RMS(Rakuten Merchant Server)」を出店者に提供した。「楽天がサービスを開始した1997年当時では、まさに"価格破壊"と言っていいほどの料金設定だった」(日経ビジネス 2000/10/23)と同時代の業界記事は記録している。初年度の出店獲得は営業メンバーが商店街の店主を1件ずつ訪ね歩く地上戦で支えられ、東京下町の中小零細店主や全国の農家・蔵元まで顧客層を広げた。 |
| 1997〜1999年 なぜ無名のベンチャーが2期連続経常黒字を出せたのか? | 月5万円固定の出店料は契約時に半年分を一括徴収する前受金構造で、出店数に比例した月次キャッシュインが先行入金型になり、サーバ運用以外の追加コストを最小化したことで、初年度から黒字化に近い損益構造で運営できたため。 楽天市場のビジネスモデルは、出店者が契約時点で半年分のシステム利用料を支払う前受金型を採った。出店数が増えるほど、サービス提供前に得られるシステム利用料の総額も増える設計であり、「規模が大きくなれば、市場からの資金調達に頼る必要がないモデル」(日経ビジネス 2000/10/23)と業界誌は分析している。 出店数は1997年5月の13店から1998年12月に約320店、1999年12月に約1,800店へと急増し、1998年12月期から2期連続で経常黒字を達成した。同時期の他の多くのネットベンチャーが赤字を計上していたなか、楽天は「赤字が目立つネット企業の中で、98年12月期から2期連続経常黒字を達成」(日経ビジネス 2000/10/23)した優良ネット企業と位置づけられ、後の2000年4月の店頭公開承認の前提となった。1999年6月、サービス名と社名を統一するためエム・ディー・エムから楽天株式会社へ商号変更している。 |
| 2000年4月 なぜ2000年4月の店頭公開で495億円も調達できたのか? | 2期連続経常黒字の数少ない優良ネット企業として位置づけられたうえ、2000年前後のITバブル相場で「インターネットショッピングNo.1」の楽天市場の希少性が評価され、IPO公募価格が需要を反映して引き上げられた結果、調達額が当時のネット企業として突出した水準に到達した。 2000年4月19日、楽天は日本証券業協会の店頭市場へ株式を公開した。創業から3年2ヶ月、楽天市場開業からは3年で、当時のネット企業として異例の早さでの公開であった。公募・売出によりIPOで495億円を調達し、2000年1〜6月の売上11億2,700万円(前年同期1億6,600万円から約580%増)という規模に対し突出した資金額となった。 同時期の業界誌は楽天を「2期連続経常黒字を達成。2000年4月には店頭市場への公開を果たした優良企業」(日経ビジネス 2000/10/23)と位置づけている。一方で当時の出店数は2000年10月上旬で約4,600店、月300〜400店の新規出店に対し退店は月15〜20店と先発者メリットが続いていたが、ヤフー!ショッピングが10月の米ニールセン・ネットレイティングス調査で楽天市場を抜きトップに立ち、無風の独走期は短期間で終焉に向かった。 |
| 2000年10〜11月 なぜ調達直後にインフォシーク90億円買収へ動いたのか? | 楽天市場の独走を脅かしたヤフー!ショッピング台頭への危機感から、ポータルサイトの集客力を楽天市場の送客に結びつけて総合メディア企業化を急ぐ必要に迫られ、利益重視を一度曲げて赤字企業の取得を決断した。 店頭公開で調達した495億円の使途について、山田善久常務は「買うのは簡単だけれどカネは使えばいいというものではない」(日経ビジネス 2000/10/23)と慎重姿勢を示していた。しかし2000年10月のヤフー!ショッピング首位逆転を受け、楽天は11月末にポータルサイト「Infoseek」を運営するインフォシークを90億円で完全子会社化すると発表した。 インフォシークは1999年10月〜2000年9月期に経常損益6億5,000万円の損失を計上した赤字企業で、利益重視を掲げてきた楽天にとって路線転換を伴う判断であった。三木谷は買収戦略の狙いを「ショッピングを核にした総合メディア企業を目指す」(日経ビジネス 2000/12/11)と語り、IPO資金でヤフーとの集客力格差を埋める意図を示した。買収後はインフォシーク内で管理職ですらなかった森学が再建責任者に抜擢され、2002年6〜9月期に4,700万円の営業黒字へ転換させている。 |
歴史的証言当事者が何を考えていたか。その思想について
1997年の創業時点から、月5万円固定料金は将来的に売上連動の従量課金へ転換する想定だったと語った発言
「創業当時から、固定料金制はいずれ改める必要があると思っていた。仮に出店者数が半分になってもやり通す覚悟だった」
創業7年目の2003年12月期で売上181億円・経常利益44億円とほぼ倍増した好調の理由を問われた際の回答
「ビジネスというのは何でも一緒だと思うんです。当たり前のことを当たり前にやっていく。具体性を持って経営してきた結果が表れてきたのかな。最初からショッピングモールの機能とは何ぞやということをちゃんと理解したうえで、売り手(モールの加盟店)、買い手にしっかりした機能とサービスを提供してきました。」
2000年11月末、インフォシークを90億円で完全子会社化すると発表した際の買収戦略の旗印
「ショッピングを核にした総合メディア企業を目指す」
2000年4月の店頭公開で495億円を調達した直後、楽天常務として買収に対する慎重姿勢を語った発言
「買うのは簡単だけれどカネは使えばいいというものではない」
創業時から在庫を持たない事業形態を志向し、2003年の旅行・証券買収で経済圏の原型が整った経緯を語った発言
「在庫を持たない"ノータッチモデル"が好きですね。やっぱり金融と旅行への進出で我々のビジネスの幅は圧倒的に広がるのは分かっていましたから、買収によって大切なパズルの大きなところが埋まったという感覚はありました。」
1997年5月の楽天市場開業時の月5万円固定料金が当時のバーチャルモール市場の常識を破壊した水準だったと振り返った記述
「楽天がサービスを開始した1997年当時では、まさに「価格破壊」と言っていいほどの料金設定だったのがポイントだ」
参考文献
- 有価証券報告書
- 日経ビジネス 2000/10/23
- 日経ビジネス 2003/02/10
- 楽天 5-timeline.csv
- 日経ビジネス 2000/12/11
- 日経ビジネス 2004/03/22