重要な意思決定
19687月

山陽石油化学を設立

背景

旭ダウを通じた樹脂事業の蓄積と顧客基盤

旭化成は石油化学への本格参入に先立ち、合弁会社の旭ダウを通じて樹脂・誘導品の事業基盤を構築していた。旭ダウは1957年にポリスチレン樹脂の製造を開始し、1962年にはAS樹脂、1964年にはABS樹脂へと製品ラインを拡充した。並行して旭化成本体でもアクリロニトリル・ポリエチレン・ラテックスなどの誘導品・合成ゴムに参入している。こうした展開は、将来のエチレンセンター建設を見据えて先に顧客基盤を確保する戦略に基づいていた。

旭ダウは1969年時点でポリスチレン樹脂の国内シェア約40%を確保し、川崎と水島に合計15.6万トン/年の生産体制を整えていた。競争力の源泉は家電メーカーとの共同開発にあり、1959年にスタイロン加工法研究所を設置して個別製品に最適化した樹脂の開発を推進した。旭ダウの高収益体質(売上高経常利益率3.5〜9.3%)は、旭化成が石油化学への大型投資を決断する際の裏付けとなった。

決断

当時の売上高に匹敵する1,000億円の投資決断

1968年7月、旭化成は山陽石油化学を設立して石油化学への本格参入に踏み切った。山陽石油化学は旭化成60%・日本鉱業40%の合弁とし、岡山県水島地区でのコンビナート建設を目的とした。旭化成の投資負担は約1,000億円に及び、当時の同社の売上高に匹敵する規模であった。宮崎輝社長は「旭化成をひと回り大きくし、総合化学会社に脱皮させるためにはなんとしてもやり遂げたい計画」と述べ、社内の反対論を押し切って決断した。

資金は主に銀行からの借入金で賄われたと推察される。1975年度末時点の旭化成は資本金368億円に対して長短借入金の合計が1,702億円に達し、レバレッジの高い財務構造となっていた。1969年3月にエチレンセンターの建設に着手し、1970年7月に年産30万トン規模で稼働を開始した。水島製作所ではエチレンから各種誘導品を製造する垂直統合体制を構築し、旭化成は総合化学メーカーとしての生産基盤を整えた。

結果

総合化学メーカーへの脱皮と旭ダウの完全子会社化

石油化学への参入により旭化成の化学事業は大幅に拡大し、1985年度時点で合成樹脂・合成ゴム・化成品の売上高は合計5,200億円に達した。一方、旭ダウとの合弁関係には原料調達をめぐる対立が生じた。旭化成が自社エチレンセンターからの1社購買を求めたのに対し、旭ダウ側はこれに反発した。1982年にダウ・ケミカルとの合弁を解消し、旭ダウを約420億円で完全子会社化することで原料から製品までの一貫体制を確立した。

しかし石油化学事業は長期的には構造的な課題を抱えることになる。国内の石油化学産業は1980年代以降、設備過剰と価格競争の激化に直面した。旭化成は2010年代に入り水島製作所のエチレンセンターを2016年に停止するなど、石油化学からの段階的な撤退を進めた。宮崎輝氏が「社運をかけた計画」として推進した石油化学は、旭化成に総合化学メーカーとしての基盤をもたらした一方、後の経営陣が整理すべき大きな資産ともなった。