初のデジタル複写機「イマジオ320」発売
アナログからデジタルへの技術転換の潮流
1980年代半ば、複写機業界はアナログ方式からデジタル方式への技術転換期を迎えていた。デジタル複写機は、レーザープリンターと同じ原理の印刷機構をベースに、複写・ファクシミリ・プリンターの機能を1台に統合できる可能性を秘めていた。オフィスに複数台の機器を置く必要がなくなるため、省スペース化と業務効率化の両面で市場のニーズに合致する製品と目されていた。リコーはこの将来性に着目し、業界に先駆けてデジタル複写機の開発に着手した。
当時のリコーは、大植武士社長のもとで「技術のリコー」への転換を掲げ、LSIの自社生産や半導体内製化に投資を進めていた。1983年に49歳で就任した浜田広社長もこの路線を継承し、超高速複写機やデジタル技術への開発資源の集中投入を決断した。「販売のリコー」から「技術のリコー」への脱皮は、キヤノンとの技術格差を縮める上で経営陣が共有する最重要課題だった。
業界初のデジタル複写機を投入し市場を先取り
1987年、リコーは業界で初めてデジタル複写機「イマジオ320」を発売した。複写機とファクシミリの機能を1台に統合したこの製品は、オフィスの省スペース化と業務効率化を実現するコンセプトを提示した。アナログ複写機が市場の大半を占めるなか、デジタル技術の旗を最初に立てたという意味で、リコーの技術志向を象徴する製品であり、業界全体のデジタル化への移行を方向づけるものでもあった。
しかし、初代イマジオには致命的な弱点があった。複写中にファクシミリを受信できないという制約があり、「何のための一体化か、ユーザーには理解できなかった」と競合メーカーの幹部が指摘している。複写とファクシミリの同時処理を実現するには処理能力が不足しており、技術的な先進性がユーザーの実用的なニーズに追いついていなかった。開発部門の「難しい技術を最初にクリアすれば、普及機の開発はやさしい」という発想が、市場投入のタイミングと完成度の見極めを甘くさせていた。
先行者利益を活かせず6年間の「鳴かず飛ばず」
イマジオは発売から約6年間、鳴かず飛ばずの状態が続いた。売れ始めたのは1993年発売の第3世代機「MF150」からであり、初代機の構想が市場に受け入れられるまでに長い助走期間を要した。この間にリコーは超高速複写機の開発にも経営資源を集中させたが、こちらも販売実績は限定的だった。高性能製品の開発に傾倒するあまり、レーザープリンターやカラー複写機という成長市場での普及価格帯の製品投入が遅れ、キヤノンとの収益格差が決定的に拡大した。
デジタル複写機市場は2000年代に入って本格的に拡大し、リコーのイマジオシリーズはようやく主力製品に成長した。しかし、2年後発の富士ゼロックスと40%ずつシェアを分け合う状況にとどまり、6年間の先行投資に見合う圧倒的な市場優位は築けなかった。技術で先行しても市場をとれないという経験は、リコーの組織に「先行者利益は製品の完成度と市場投入のタイミングが揃って初めて成立する」という教訓を刻んだ。