ジアゾ式複写機「リコピー101」開発
カメラブーム終焉後の成長エンジン模索
1950年に発売したリコーフレックスは、朝鮮戦争の特需もあり月産1万台を輸出する爆発的なブームを巻き起こした。しかし、1953年の朝鮮戦争終結に伴う特需の消滅と、ブームに乗じた新規参入メーカーの乱立によって、カメラ市場は急速に冷え込んだ。リコーは一つのヒット商品が短命に終わるという、後に繰り返されるパターンに初めて直面していた。二眼レフカメラの需要が一巡するなか、次の成長エンジンをどこに求めるかが経営課題として浮上した。
市村清はこの停滞期に、感光紙事業で培ったジアゾ技術を応用した複写機の開発に着目した。当時、オフィスでの文書複製は青焼きやカーボン紙が主流であり、手間と時間のかかる作業だった。戦後の経済復興に伴い企業間の書類のやり取りが増加するなか、簡便な卓上型複写機への潜在需要は大きいと市村は読んだ。感光紙の販売先であるオフィスの現場を日常的に訪問するなかで掴んだ、現場ニーズへの直感がその判断を支えていた。
感光紙技術を応用した卓上型複写機の自社開発
リコーは自社の感光紙技術をベースに、ジアゾ方式の卓上型複写機「リコピー101」を開発した。1955年に生産を開始したこの製品は、設計図面だけでなく一般的なオフィス文書の複写にも使える実用性を備えていた。国内初の卓上型ジアゾ湿式複写機として市場に投入され、それまで専門業者に外注するか青焼きに頼るしかなかった文書複製を、オフィスの机の上で完結させるという新しい事務処理の形態を提案した製品だった。
リコピー101の開発は、リコーが感光紙メーカーから事務機メーカーへと事業の軸足を移す転換点となった。市村清は事務合理化の波を捉え、複写機を単なる製品としてではなく、機器の設置後に継続的な収益を生む事業として構想した。機器本体の販売益に加え、保守サービス料金と消耗品である感光紙の販売を組み合わせた「アフター収益モデル」の原型が、このリコピー101の時点で形づくられていた。
複写機メーカーとしての基盤確立
リコピー101は事務合理化の波に乗って官公庁や民間企業に広く普及し、カメラブームの終焉で停滞していたリコーを再び成長軌道に押し上げた。複写機事業はその後、1959年の国産初の電子複写機「リコーファックス」、1960年代の電子リコピーシリーズへと技術を進化させながら発展し、リコーの売上構成を根本から変える主力事業として定着する。カメラ依存の収益構造からの脱却が、この一台を起点に始まった。
全都道府県にまたがる販売・サービス網の構築もこの時期に本格的に始まった。複写機は販売後の定期的な保守点検と消耗品の安定供給が不可欠であり、全国に技術サービス要員を配置する体制が求められた。この要請が、直系販売会社・事務機専門商社・文具問屋からなる三層構造販売網の原型を形成し、後に「販売のリコー」と呼ばれるリコー独自の販売体制へと発展していく。