東芝が日本ビクターを買収
戦時統制下で外資色の排除を迫られた日本ビクター
1937年の日華事変以降、日本は戦時体制へと移行し、外資企業に対する統制が強化された。米RCAと提携していた日本ビクターも影響を受け、1938年にRCAは保有株式を手放して日本市場から完全撤退した。RCAの持株は日本産業株式会社(日産財閥)に譲渡され、日産が42.5%を保有する筆頭株主となった。外資色を薄めて軍需体制に適応するための資本再編であった。
しかし、日産による経営は長期的な産業育成よりも資本管理の色合いが強かった。日産は満洲開発や重工業投資に経営資源を振り向けており、音響機器メーカーである日本ビクターは戦略上の中核とは位置づけられなかったと推察される。日産の保有株式は再度移転の対象となり、次の受け皿が模索されることになった。
東芝が日産から株式を取得し傘下に組み込む
1943年、日産が保有していた日本ビクターの株式を東京芝浦電気(東芝)が取得した。東芝は通信機器・真空管・電機製品の分野で技術蓄積を持ち、日本ビクターの音響・映像技術との補完関係が見込まれた。日本ビクターは東芝グループの傘下に入り、経営の主導権は日産から東芝へ移行した。
この株式取得は単なる企業間の資本移動ではなく、戦時体制下での産業再編の一環であった。電機・通信産業を国家戦略産業として再構築する流れの中で、音響映像機器を担う日本ビクターは東芝の事業ポートフォリオに組み込まれた。外資系合弁として設立された日本ビクターは、わずか16年で外資→日産→東芝と二度の資本移動を経験したことになる。
外資系合弁から国内電機グループの一角へ
東芝傘下に入った日本ビクターは、技術開発体制の再構築と製品ラインの整理を進めることとなった。戦時下における資源制約と統制の中で企業としての独立性は縮小したが、電機産業の一角として位置づけ直された。
この一連の資本移動は、外資系合弁企業が戦時統制を契機に国内資本主導の体制へ転換した事例である。米RCAの撤退、日産の中継的保有、東芝への最終的な移管という三段階の資本移動は、戦時経済が企業の所有構造を根本的に変えた過程を示している。日本ビクターの株主構成は、その後も松下電器の参入により再び変動することになる。