重要な意思決定
19279月

日本ビクター蓄音機を設立

背景

蓄音機市場の拡大を見据えた米ビクターの対日直接進出

1920年代、日本では蓄音機やレコードの普及が都市部を中心に進み、音楽の大衆化が始まりつつあった。輸入品は高価格であったが海外ブランドへの需要は確実に存在し、市場は形成の初期段階にあった。米国ではビクター社がレコードおよび蓄音機の製造で存在感を高めており、成長が見込まれる日本市場への直接進出を模索していた。

当時の日本市場では代理店を通じた輸入販売が主流であり、製品供給や価格設定、ブランド管理の面で制約があった。現地法人を設立すれば製造・販売を一体的に運営する体制が構築でき、日本市場に適した製品仕様や流通政策を主体的に展開できる。需要の拡大が見込まれる局面で、代理店モデルから直接投資へ切り替える判断が下された。

決断

外資系現地法人として蓄音機の製造・販売体制を構築

1927年9月、ビクター社は資本金200万円で日本ビクター蓄音機株式会社を設立した。単なる輸入販売ではなく、日本国内に製造拠点を持つ外資系法人として蓄音機とレコードの現地生産に踏み切った。1928年にはプレスレコードの国内生産を開始し、1929年には横浜市南区中村町に工場を新設してレコードプレスの生産体制を整えた。

1930年には三菱財閥および住友財閥が資本参加し、資本金を400万円に増資した。日本の財閥資本を取り込むことで、外資系企業としての事業基盤を強化した。ただし、法人設立から十数年後には日米関係の悪化に伴い、外資としての経営は困難となり、日本の大企業の傘下に入ることになる。直接進出で築いた製造基盤は、皮肉にも日本企業に引き継がれる形で存続した。