重要な意思決定
約2600名の人員削減
背景
繊維需要低迷と為替変動による競争力低下
1970年代後半、国内の繊維産業は長期的な需要低迷局面に入っていた。1973年のオイルショック以降、衣料需要は伸び悩み、天然繊維・化学繊維・合成繊維のいずれも生産調整を迫られていた。加えて、1971年のニクソンショック以降は円高ドル安が進行し、国内生産を前提としてきた日本の繊維メーカーは価格面で不利な立場に置かれていた。
その結果、労働集約度の高い繊維事業では、韓国・台湾・中国など新興国メーカーとの競争が一段と厳しくなった。帝人においても繊維事業の利益率は低下し、生産能力の維持そのものが収益を圧迫する状況となっていた。既存工場の稼働維持と雇用維持を同時に続けることは難しく、事業規模の見直しが避けられない局面に入っていた。
決断
名古屋工場閉鎖と社員数の4分の1に相当する人員削減
1978年、帝人は繊維の生産調整を目的として名古屋工場の閉鎖を決定した。同工場は名古屋市南区、JR笠寺駅前に立地しており、長年にわたり繊維生産を担ってきた拠点であった。工場閉鎖後、跡地は再開発され、のちに名古屋市総合体育館として利用されることとなった。
あわせて帝人は全社的な人員削減を実施した。1978年4月から10月までの半年間で単体ベースで約2650名が削減され、社員数の約4分の1に相当した。転職援助制度の拡大や自然減も活用されたが、削減の速度と規模は社内外に大きな影響を与えた。人員削減の進行と前後して、経営姿勢を批判する匿名文書が社内に出回るなど、経営と現場の緊張関係が表面化する局面でもあった。