重要な意思決定
1968

未来事業本部を発足

背景

合成繊維市場の競争激化と成長余地の縮小

1960年代後半、国内の合成繊維市場ではポリエステルとナイロンの生産能力が拡大し、各社の参入が相次いでいた。市場規模は拡大していたものの、供給能力の増加により価格競争が進み、利益率の改善は難しくなっていた。帝人においても、繊維事業での売上成長は鈍化し、既存事業だけでは中長期の成長を描きにくい状況にあった。

当時の社長であった大屋晋三氏は、戦後の帝人を率いてきた経営者であり、繊維依存からの脱却を経営課題として認識していた。合成繊維が成熟局面に入りつつある中で、帝人は事業ポートフォリオを広げる必要に迫られていた。新規事業へのリスクテイクは、繊維に代わる収益源を探索する手段として位置付けられていた。

決断

未来事業本部の新設と新規事業への集中投入

1968年、帝人は社内組織として「未来事業本部」を新設し、新規事業を推進する体制を整えた。この方針は大屋社長によるトップダウンで打ち出され、社内人材に加えて社外から約100名を中途採用し、専属組織として新規事業開発に投入した。未来事業本部は、既存事業とは切り離された形で、多数の事業立ち上げを担う役割を与えられていた。

新規事業の対象分野や撤退基準は明確に定められず、子会社設立や海外企業との合弁を通じて、幅広い分野への参入が進められた。食品、農薬、化成品、資源開発、輸入車販売、電子機器、教育、牧場運営など、事業内容は多岐にわたった。1970年には石油・天然ガス分野に対応するため石油資源開発本部が設置され、さらに1977年には医薬品領域を重視する方針のもと医薬事業部が新設された。

結果

創薬以外の新規事業整理と方針転換

1970年代を通じて、未来事業本部のもとで50を超える新規事業が展開されたが、多くは業績貢献に至らなかった。事業間の関連性は乏しく、経営資源が分散したことで、全社としての売上成長やROIの改善には結びつかなかった。一方で、化成品分野と医薬品分野では一定の事業継続が図られ、特に医薬品は繊維で培った化学合成技術を応用できる領域として位置付けられた。

1980年に大屋晋三氏が社長在任中に逝去した後、帝人は未来事業本部を解体し、新規事業の整理に着手した。1980年代を通じて、医薬品と一部化成品を除く大半の新規事業から撤退が進められた。結果として、未来事業本部を軸とした多角化の試みは、創薬分野を除き失敗に終わり、帝人は事業ポートフォリオの再構築を迫られることになった。