ナイロンに参入
先発企業が市場を主導していたナイロン分野
1960年代初頭、国内の合成繊維市場ではナイロンが衣料用途と産業用途の双方で普及していた。東レは1950年代前半からナイロンの量産を進め、長期間にわたり市場供給を主導していた。ナイロンは耐摩耗性や汎用性を背景に用途が拡大し、合成繊維の中でも需要規模が大きい分野として認識されていた。
一方で、合成繊維全体の市場拡大を受け、1960年代に入ると後発企業にも参入余地が生じていた。帝人はポリエステル事業を展開する中で、ナイロン未参入という事業ポートフォリオ上の偏りを認識していた。ナイロン参入は補完的な選択肢として検討されたが、先発企業が量産設備と販売網を構築していたため、競争激化を伴う判断となっていた。
アライドケミカル社との提携による後発参入
1962年7月、帝人は米国アライドケミカル社と技術提携を結び、合成繊維ナイロンへの参入を決定した。東レのナイロン量産開始から約10年遅れの参入であり、技術導入によって量産体制を短期間で構築する方針が採られた。量産拠点には既存の三原工場が選ばれ、レーヨン生産に用いられていた設備を活用しつつ、ナイロン製造設備が導入された。
同時期、帝人以外の大手繊維企業もナイロン事業への参入を進めていた。東レに続き、帝人、鐘紡、呉羽紡(東洋紡)、旭化成が量産設備を相次いで整備した。結果として、国内ナイロン市場は短期間で複数企業が並立する状態となり、参入段階から供給能力の増加と競争激化が同時に進行していた。
市場拡大と競争激化による収益性の悪化
帝人のナイロン事業は、参入初期には売上を拡大した。1965年にはナイロン売上高が92億円に達し、量産開始後の立ち上がりとしては速いペースで事業規模を拡大した。しかし、その後は売上成長が鈍化し、全社業績に対する貢献はポリエステル繊維「テトロン」を下回る水準にとどまった。
背景には、1960年代前半に集中した参入による供給能力の増加があった。各社はシェア拡大を目的に投下資本を積み増し、設備増設を進めた結果、価格競争が常態化した。ナイロンは市場規模こそ拡大したものの、最新技術を導入しても利益率の改善は難しく、合成繊維分野全体が儲かりにくい事業環境に移行していった。