重要な意思決定
19571月

ポリエステルに参入

背景

東レに劣後した合成繊維の挽回

1950年代半ば、日本の繊維産業はナイロンに続く合成繊維の拡大局面に入っていた。東レはナイロンで先行し、量産と販売網を通じて売上成長を実現していた。一方、帝人はアセテートへの集中投資が売上拡大に結びつかず、合成繊維分野での立て直しが課題となっていた。

海外ではポリエステルが衣料用途を中心に拡大しつつあり、特許は英国ICIが保有していた。後発参入となる日本企業にとって、単独での技術導入は交渉力や投下資本の面で制約があった。このため、技術導入の方法そのものが、将来のシェアと利益率を左右する論点として整理されていた。

決断

ICIとの技術提携と東レとの共同参入

1957年1月、帝人はICIと技術提携を結び、ポリエステル繊維への新規参入を決定した。この提携には東レも参加し、両社はICIの技術を共同で導入する形を選択した。単独交渉ではなく2社共同とすることで、特許技術の利用条件を安定させ、日本市場での供給体制を早期に構築する狙いがあった。

帝人にとってこの決断は、アセテート投資の停滞を受けた事業ポートフォリオの見直しでもあった。ナイロンでは後発となった反省を踏まえ、次の合成繊維では技術導入段階から主導権を確保し、東レと並ぶ形で市場形成に関与する選択を取った。競争ではなく、初期段階での技術独占に近い状態を目指した判断であった。

結果

ポリエステルによる売上拡大と立て直し

1958年6月、帝人は松山工場でポリエステル繊維の量産を開始し、「テトロン」の商標で販売を始めた。ポリエステルは染色性と耐久性の点で衣料用途に適しており、市場は拡大した。1960年代前半を通じて、帝人はポリエステルを軸に合成繊維メーカーとしての売上を伸ばした。

その結果、アセテートで停滞していた収益構造は改善し、合成繊維分野での存在感が回復した。東レと並ぶ形でポリエステル市場を形成したことで、帝人は技術導入の遅れを取り戻し、売上成長の軌道に復帰した。技術提携の設計と参入タイミングが、業績回復に直結した事例となった。