重要な意思決定
195511月

アセテートに参入

背景

合成繊維拡大局面における技術選択の分岐

1950年代半ば、日本の繊維産業では合成繊維が急速に普及し、衣料用途を中心に市場が拡大していた。東レはナイロンの量産を進め、供給能力の拡大を通じて売上成長とシェア獲得を実現していた。一方、帝人はレーヨンを主力事業としており、合成繊維への本格的な移行は経営上の論点として残されていた。ナイロン分野では先行企業による集中投資が進んでおり、後発参入は投下資本の増大と価格競争の激化を伴う状況であった。帝人は同一素材での正面衝突を避ける選択肢を検討し、競合が量産していなかった素材を通じて合成繊維市場への参入余地を探っていた。

決断

松山工場新設によるアセテート量産開始と市場の不発

1955年11月、帝人は松山工場を新設し、木材パルプを原料とする化学繊維であるアセテート繊維の量産を開始した。ナイロンとは異なる技術路線を選択し、競合の少ない分野で売上拡大を狙う集中投資であった。この判断は、レーヨン事業で蓄積してきた原料調達や工程運営との連続性を意識したものでもあった。しかし、量産開始後もアセテートは用途が限られ、市場は拡大しなかった。量産開始から3年が経過した時点で半期売上高は9億円にとどまり、全社売上に占める割合は小さい水準であった。主力のレーヨンも合成繊維の普及で市場が縮小し、1950年代を通じて帝人の売上高は低迷した。