重要な意思決定
東洋紡績株式会社を設立
背景
紡績会社の乱立と企業買収による業界再編の進行
明治後期から大正初期にかけて、国内に紡績会社が乱立し価格競争が激化した。各社とも綿糸の生産能力を拡大する一方で、需要の伸びは供給の増加に追いつかず、業界全体として過当競争の様相を呈していた。こうした環境下で、大規模な紡績会社が中小規模の紡績会社を買収する業界再編が活発化し、企業数の集約が進んだ。
大阪紡績と三重紡績はいずれも関西圏を地盤とし、地方の紡績会社を順次合併して規模を拡大してきた。両社ともに相談役として渋沢栄一氏が経営に関与しており、組織的にも人的にも近い関係にあった。業界再編がさらに進むなか、両社が個別に規模を追求するよりも統合によって競争力を高めるという選択肢が現実味を帯びていた。
決断
大阪紡績と三重紡績の合併による東洋紡績の発足
1914年6月、大阪紡績株式会社と三重紡績株式会社が合併し、東洋紡績株式会社が発足した。関西圏を中心に16か所の工場を稼働させる体制となり、合併によって国内紡績業で有数の規模を持つメーカーとなった。合併を推進した人物は渋沢栄一氏であり、両社の相談役を兼務していたことが、合併交渉の円滑化に寄与した。
同年12月末時点で、東洋紡績は据付錘数44万錘(国内1位)、綿糸生産量2万8,000梱(国内1位)を達成し、紡績設備と生産量の両面で国内首位に立った。2位の鐘淵紡績(42万9,000錘)を僅差で上回る形であり、東洋紡績は合併初年度から国内トップの紡績メーカーとしての地位を確立した。