グローバル化を宣言・グローバル旗艦店の出店を開始
英国郊外の失敗と香港大型店の成功が戦略転換を導いた
2006年にファーストリテイリングは「グローバル化」を宣言し、海外におけるユニクロの出店を積極化する方針を決定した。しかし、海外展開は2001年の英国進出以来、苦戦が続いていた。英国では郊外を中心に最大21店舗を出店したが、ブランド認知を獲得できず6店舗にまで縮小していた。郊外の非一等地に出店する日本のロードサイド型戦略は、海外では機能しなかった。
転機となったのは、2005年9月に出店した香港の大型店舗(売場面積300坪)の成功であった。柳井正は「香港ではすでにユニクロが認知されていたこと、そして売場面積が300坪と大型だったため、ユニクロ商品の良さやブランドコンセプトがきちんと伝わった」と分析している。一方、米国のショッピングモールへの出店を通じて「海外の新しい市場では知名度がないと簡単には売れない」ことも認識された。この二つの経験から、進出国のファッション中心地に大型旗艦店を出店してブランド認知を一気に獲得する戦略が導かれた。
ファーストリテイリングは出店方針を根本的に練り直し、売場面積1000坪規模の大型店舗を進出国の一等地——日本における銀座に相当する地域——に出店するグローバル旗艦店戦略を採用した。英国郊外の失敗が仮説の修正を促し、香港の成功がその仮説を裏付けた。
最も競争の厳しいニューヨークを最初に選んだ理由
グローバル旗艦店の1号店として、ファーストリテイリングはニューヨークを選択した。カジュアルウェアで世界最大の競争市場である米国をあえて最初に攻めることで、そこで通用したモデルを次の進出国に横展開する設計であった。2006年11月にニューヨークのソーホー地区に売場面積1000坪のグローバル旗艦店1号店を開業した。香港の3倍以上の規模であり、世界に向けたショーケースとなるユニクロの最高水準の商品・売場・サービスを表現する場と位置づけられた。
柳井正は「カジュアルウエアで最も競争の激しい市場である米国であえて出店するのは、そこで勝ち抜くことが、世界市場で戦っていく力をつけることになるから」と語っている。最も厳しい市場で先にブランドを確立し、その実績を他国展開の信用材料にするという設計は、1984年のユニクロ1号店を広島の繁華街に出した判断と同じ構造である。
以後、ファーストリテイリングはロンドン(2007年)、パリ(2009年)、上海(2010年)、ニューヨーク5番街(2011年)、ソウル(2011年)、銀座(2012年)と、主要都市にグローバル旗艦店を連続出店していった。
佐藤可士和のシンボルマーク策定とブランドの世界標準化
グローバル展開に合わせて、ファーストリテイリングはユニクロのシンボルマークの刷新を決定した。クリエイティブディレクターの佐藤可士和に依頼し、新たなシンボルマークが策定された。柳井正と佐藤可士和は共通の知人を通じて出会ったが、当初柳井正は「クリエイター」という肩書きに疑念を抱き面会を断っていた。佐藤可士和がテレビ番組で特集されたことを知り、信頼して仕事を依頼するに至ったという。
グローバル旗艦店戦略は、ロードサイドの郊外型店舗から出発したユニクロを、都市型のグローバルブランドへと転換する転機であった。1984年の広島繁華街→ロードサイド郊外→都心型(原宿)→グローバル旗艦店という出店戦略の変遷は、失敗と成功を繰り返しながら最適な店舗フォーマットを探索し続けてきたファーストリテイリングの経営スタイルを象徴している。