重要な意思決定
1995

中国沿海部のメーカー4社と契約

背景

1988年からの7年越しでSPA構築の前提が整う

1988年に香港拠点を設置して以来、ファーストリテイリングは中国メーカーとの本格的な取引を目指してきたが、店舗数不足による発注ロットの制約が障壁となっていた。1994年の広島証券取引所への上場により130億円の資金を確保し、年間50店舗ペースの出店計画が策定されたことで、ようやく中国メーカーにとって魅力的な発注規模が見えてきた。1988年から7年越しで、SPA構築の前提条件が整った。

契約締結の仲介に大きな役割を果たしたのは、東レの輸出部を退職してコンサルタントとして独立した長谷川靖彦であった。中国の生産事情に精通する長谷川は、東レでは実現できなかった中国での現地生産に将来性を見出し、独立直後にファーストリテイリングとの取引を開始した。

決断

長谷川靖彦の仲介による中国メーカー4社との契約締結

長谷川はファーストリテイリングの委託先工場を探す手伝いをし、現地メーカーに対してユニクロの製造委託のメリットを説いた。長谷川自身は仲介に対する報酬を辞退し、「柳井というのは信用できる男だから」と中国メーカーに取引を持ちかけた。ファーストリテイリングが上場して店舗拡大に目処がついたことで、大量ロットの受注が見込める点が中国メーカーにとっての決め手となった。

1995年までにファーストリテイリングは中国沿海部のメーカー4社と契約を締結し、委託生産を本格化した。これにより、1988年のGAPのSPAモデルへの着目以来、宿願であったグローバルな製造小売体制が構築された。

結果

委託先の急成長と22年間秘匿された調達構造

中国の委託メーカーはユニクロとの取引を契機に業容を急拡大し、2000年代以降には株式上場を果たすメーカーも現れた。現地メーカーの経営者は柳井正に心酔していったと伝えられる。ただし、契約当初の委託先4社に対して生産拠点の工場数は約80と非常に多く、中国メーカーの生産性には課題があった。1990年代後半にはファーストリテイリングが委託先の工場の絞り込みを実施している。

ファーストリテイリングにおいて、中国の委託先情報はトップシークレットとして扱われた。2017年に取引先を公表するまでの22年間、委託工場に関する様々な憶測が飛び交った。この情報秘匿の徹底は、調達構造がファーストリテイリングの競争優位の核心であったことを物語っている。長谷川が「結果的に東レにも恩返しができた」と語るように、のちに東レとユニクロの取引が拡大し、長谷川の仲介は複数の企業に波及効果をもたらした。