重要な意思決定
1988

香港経由で中国メーカーの製品を買い付け

背景

GAPのSPAモデルへの着目と中国生産の構想

柳井正は、安くて品質の良いカジュアルウェアを確保するために、国内メーカーではなく中国のアパレルメーカーに着目した。1988年に香港に拠点を設置し、中国メーカーとの取引を模索した。柳井正が参照したのは、米国のGAPが香港を窓口として中国メーカーと協力しながらアパレル商品を企画・生産する方式、すなわちSPA(製造小売業)であった。

当時の日本のアパレル業界では、メーカー→問屋→小売という多段階の流通構造が一般的であり、小売企業が企画から販売まで一貫して手がけるSPAは皆無に近かった。GAPのモデルを日本で再現するには、中国メーカーへの大量ロット発注が前提となるが、1988年時点のユニクロの店舗数ではその規模に到達していなかった。

決断

店舗数不足というジレンマと国内メーカーへの暫定的依存

中国メーカーは生産におけるスケールメリットを重視しており、GAPのように全米の店舗に商品を供給する大企業の大量ロット発注に応じる体制であった。ユニクロのわずかな店舗数では取引するメリットに乏しく、生産ラインを一定期間買い取る契約を締結できるだけの発注量を確保できなかった。SPAの理想像は見えているのに、規模不足で実行できないというジレンマが生じた。

このジレンマは、日本国内の店舗数を急ピッチで拡大する必然性を生んだ。1991年以降の年間30店舗出店と長銀からの借入調達は、この調達構造上の制約から逆算された経営判断であった。暫定的な措置として、ユニクロは普段着の大半を水甚や美濃屋といった岐阜県のアパレルメーカーから仕入れる体制を継続したが、国内メーカーとの取引は仕入れコストの高止まりというボトルネックを伴った。

結果

調達構造の転換が店舗拡大と資金調達を連鎖的に要求

1988年の香港拠点設置から1995年の中国メーカーとの本格契約に至るまで、7年間を要した。この間、ファーストリテイリングは店舗拡大→長銀融資→上場→資金確保→大量発注能力の獲得という段階を踏んでおり、SPA構築に必要な前提条件を一つずつ整備していった。調達構造の転換が店舗拡大を要求し、店舗拡大が資金調達を要求するという連鎖構造が、ファーストリテイリングの1990年代前半の急成長を駆動する原動力となった。

GAPのSPAモデルを模倣しようとした1988年の判断は、結果として事業の全側面——店舗数、資金調達、組織体制、情報システム——の同時変革を不可避にした。ユニクロの急成長は、この調達構造上の制約を突破するための連鎖的な投資の帰結であった。