重要な意思決定
ユニクロの店舗展開をロードサイドに変更
背景
広島繁華街の頓挫を受けた郊外ロードサイドへの転換
広島繁華街での都心型展開が苦戦する中、柳井正は出店戦略をロードサイドの郊外へ転換した。1985年に山口県下関市にロードサイド郊外店の1号店「ユニクロ山の田店」を開業した。当時、西日本においてカジュアルウェアのロードサイド店舗は珍しい存在であり、自動車を所有するファミリー層から支持を集めた。同年には岡山県に「ユニクロ岡南店」を開業し、中国地方におけるロードサイド店舗の集中展開を開始した。
このロードサイド郊外店の展開が、ユニクロにとってのプロダクトマーケットフィット(PMF)となった。ファミリー層が求めたのは「高級品」や「個性的」な衣料ではなく、年齢や性別を問わず着用できる普段着であった。1995年時点の客単価は平日4000円、休日5000円、1商品あたりの単価は1000円前後が主流であり、トップスやボトムから下着まで全てのカジュアルウェアをカバーした。
決断
「安くて品質が良い普段着」という至上命題の確定
ロードサイドのファミリー層は、商品に対して「コストと品質」をシビアに要求した。都心の繁華街でブランドイメージによって高単価を維持する事業モデルとは根本的に異なり、ユニクロにとっては「安くて品質が良い普段着」をいかに仕入れるかが至上命題となった。この命題は、のちの中国メーカーへの生産委託とSPA(製造小売業)の構築へと直結する。
都心型1号店の失敗からロードサイドへの転換に要した期間はわずか1年であり、柳井正の意思決定の速さを示している。ロードサイドで確立した「低価格・高品質・普段着」という事業モデルは、以後のユニクロの全ての展開——中国生産、年間30店舗出店、フリース戦略、グローバル旗艦店——の前提条件となった。