重要な意思決定
1984

広島市内にユニクロ1号店を開業

背景

商店街からの脱出先として広島の繁華街を選択

柳井正は斜陽化しつつある宇部新川駅前の商店街からの脱出を図るため、広島随一の繁華街にカジュアルウェアの店舗「ユニクロ」1号店を開業した。商店街の紳士服店ではなく、都心の繁華街で若者向けのカジュアルウェアを販売するという方向転換であった。しかし、この時点では「カジュアルウェア」というコンセプトは定まっていたものの、大量生産・低価格という事業モデルは具現化できていなかった。

都心型店舗としてのユニクロ1号店は、商品調達面での構造的な課題により苦戦した。国内メーカーからの仕入れでは価格競争力に限界があり、繁華街の高い賃料を賄えるだけの利益率を確保できなかった。結果として都心店舗の展開は頓挫し、1991年8月にユニクロ袋町店の閉店が決定された。

決断

都心型の失敗がロードサイドへの転換を導いた

広島繁華街での苦戦は、ユニクロの事業モデルにとって重要な学習であった。都心の繁華街では賃料が高く、国内仕入れによるコスト構造では採算が合わないという事実が明らかになった。この失敗が、翌1985年の山口県下関市におけるロードサイド郊外店への転換を導いた。

都心型1号店の失敗と、ロードサイドへの転換という二段階の意思決定は、柳井正が試行錯誤を通じて事業モデルを修正していく経営スタイルを示している。のちのグローバル展開においても、英国郊外の失敗を経て一等地旗艦店に転換するなど、同様のパターンが繰り返される。