国内3工場を閉鎖
オイルショック後の需要低迷と固定費負担の顕在化
1970年代半ば、ユニチカはオイルショック後の景気後退と繊維需要の減少に直面していた。合併以降の設備投資により固定費は高い水準にあったが、販売価格の下落と工場稼働率の低下が重なり、利益率は急速に悪化した。繊維産業全体が需要縮小局面に入るなかで、ユニチカの事業構造は売上減少に対する調整余地が乏しく、固定費と人員規模が経営の重荷となっていた。
1975年3月期の決算において、ユニチカは経常損益で185億円の赤字を計上した。当時の資本金229億円に対して赤字額は大きく、合併後初の深刻な業績悪化となった。資金繰りが直ちに逼迫する段階ではなかったが、投下資本の回収見通しが立たず、金融機関との関係維持のためにも具体的な対応策を示す必要が生じていた。1971年に続いて資産売却のみで対応する方法には限界が明らかであり、事業面での構造的な手当てが求められていた。
経常赤字185億円を受けた国内3工場の閉鎖と生産能力の圧縮
赤字決算を受けて、ユニチカは1975年4月に国内3工場の閉鎖を決定した。閉鎖対象は名古屋工場、犬山工場、桐生工場であり、いずれも繊維生産に関わる拠点だった。生産能力の圧縮により固定費を削減し損益分岐点を引き下げることが狙いとされた。並行して保有土地などの固定資産売却も進められ、資金確保と財務負担の軽減が図られた。
ただしこの対応は需要回復を前提としない防衛的な調整にとどまった。閉鎖対象は赤字幅の大きい拠点に限定され、事業ポートフォリオ全体の再設計や非繊維領域への集中投資には踏み込まなかった。雇用や取引先への影響に配慮しながら進められた結果、対応策は段階的かつ限定的な範囲に収まった。生産調整としての効果は一定程度あったものの、収益構造の根本的な改善には結びつかず、低収益事業を縮小しながら維持するという経営パターンがその後も長期にわたって続いていった。