資産売却益の計上
繊維事業の投下資本回収が停滞するなかで膨らんだ含み資産
1969年にニチボーと日本レイヨンが合併しユニチカが発足した後も、繊維事業の収益性は改善に至っていなかった。設備投資に伴う減価償却費と借入金の支払利息が固定的な負担として継続し、売上規模は維持されていたものの営業利益は限定的な水準にとどまった。1971年度時点で、本業のキャッシュフローのみで投下資本を順調に回収できる状態には達しておらず、財務上の余裕は縮小しつつあった。
一方、当時の日本経済はインフレ傾向と地価上昇が進行しており、企業が過去に取得した土地や遊休資産には帳簿価額と時価の間に大きな乖離が生じていた。ユニチカも工場用地や社宅用地として取得した不動産を複数保有しており、事業上の収益は直接生まないが売却すれば含み益を実現できる資産として存在していた。繊維事業の収益力では投下資本の回収に不十分な状況のもとで、含み資産は財務調整の手段として経営陣の視野に入っていた。
土地を中心とした100億円規模の資産売却による損益と資金繰りの補完
1971年度決算において、ユニチカは土地を中心とする保有資産の売却を実施し、資産売却益を計上した。日経ビジネス(1972年6月26日号)によれば、同年度の資産売却益は100億円規模に達し、営業段階の利益水準を上回る寄与となった。売却代金は借入金の返済と運転資金の確保に充当され、短期的な資金繰りの安定を図る対応だった。繊維事業の構造改革に踏み込むよりも、財務面の時間を確保することが優先された。
ただし資産売却益は一過性の収益であり、継続的な利益の源泉にはなり得なかった。保有資産を売却するほど将来の換金余地は縮小し、次年度以降の損益改善は営業利益率に依存する構造が残った。この判断は繊維事業を維持したまま財務面の猶予を確保する時間稼ぎとしての性格が強く、事業ポートフォリオの再設計や不採算領域からの撤退といった意思決定を先送りする形となった。本業の収益力改善に至らないまま資産を切り崩す構図は、その後のユニチカの経営判断にも繰り返し現れることになる。