債務超過に転落
数十年にわたる閉鎖的組織風土と構造改革の不断の先送り
1990年代後半までに鐘紡は事業構成と財務構造の両面で深刻な歪みを抱えていた。化粧品事業は安定した収益を生み続けていた一方、繊維事業は構造不況から脱却できず、住宅、食品、医薬品といった多角化事業も十分な収益力を持たなかった。ペンタゴン経営以降、高収益の化粧品で他事業の赤字を補填する構造が30年近く継続されており、この相互もたれあいの構造は是正されないまま固定化していた。
全社的な雇用維持が経営の前提とされ、不採算工場の閉鎖や事業撤退は慎重に扱われ続けた。地方に残る繊維工場は地域の雇用を支える拠点であり、閉鎖には自治体や労働組合との調整が必要であった。1996年には防府工場の閉鎖計画が地元の反対で一時撤回されるなど、構造改革の実行は組織内外の抵抗に直面した。経営判断は常に雇用維持という制約条件のもとで行われ、抜本的な事業再編は先送りされ続けた。
この結果、事業部門間の赤字補填が常態化し、実態としての収益力と財務数値との乖離が拡大した。1999年頃からは企業存続を優先するなかで、販売子会社への押し込みや在庫の回転操作といった会計処理が黙認され、閉鎖的な組織風土のもとで是正されない状態が続いた。会計監査や取締役会による牽制機能は形骸化し、実態と数字の乖離を組織的に許容する構造が出来上がっていた。
粉飾決算の露呈と産業再生機構による再生スキームへの移行
2003年9月、鐘紡における粉飾決算が露呈し、同社は630億円の債務超過に転落した。長年維持されてきた財務数値の信頼性が根本から崩壊し、市場と取引先からの信用は失墜した。粉飾の規模は単年度の調整にとどまらず、複数年にわたる組織的な会計操作の累積であった。経営陣は責任を問われ、長年経営に関与した伊藤淳二はすでに名誉会長職を退任していたが、構造的問題は修復困難な段階に達していた。
2004年2月、主力取引銀行は産業再生機構の枠組みを活用した再生を決定した。再生計画では化粧品事業の売却を前提とした事業再編、不採算事業の整理、経営体制の刷新が柱とされた。経営責任を明確化するため当時の社長を含む取締役全員が退任することが決定された。鐘紡は自力再建の道を絶たれ、公的機関の管理のもとで事業の切り売りによる債務整理が進められることとなった。
産業再生機構は鐘紡の問題を「収益力も事業特性も全く異なる事業群が一つの企業体のなかに混在したことで全体としての競争力を失った」と総括した。事業部門間の相互もたれあいが過剰債務を膨張させ、組織運営面でも抜本的な変革が必要な状態にあると指摘した。再生の方向は鐘紡を総合メーカーとして立て直すのではなく、事業ごとに分割して個別に再生する方針が採用された。
事業単位での解体売却と総合メーカーとしての歴史の終焉
再生計画の中核として、鐘紡は唯一の高収益事業であった化粧品事業を花王に約4100億円で売却した。この譲渡益により過剰債務の整理が進められた。化粧品事業は鐘紡グループ内で40年以上にわたり利益の柱であり続けたが、最終的には企業存続のための換金対象として処分された。強い事業を育てる力と、その事業に経営資源を集中させる仕組みが別物であったことを、この結末は示している。
繊維事業ではセーレンへの売却が実行され、残存する不採算工場は閉鎖された。浜松、大垣、彦根、出雲の各工場が閉鎖対象となり、長年にわたり先送りされてきた撤退判断がようやく実行に移された。食品、日用品、薬品事業はクラシエホールディングスに承継され、投資ファンドの主導のもとで運営されることとなった。鐘紡は事業単位で分割・売却される形で再編された。
2005年6月に東証一部の上場が廃止され、2007年2月の株主総会で会社解散が決議された。商号は「海岸ベルマネジメント株式会社」に変更され、清算業務を経て鐘紡は法人としても消滅した。1933年に全業種の売上高で日本一に立った名門企業は、事業ごとに解体されるかたちで歴史に幕を下ろした。多角化と雇用維持を同時に追求した経営は、最終的に企業そのものの消滅という帰結を迎えた。