重要な意思決定
1975

無配転落

背景

化粧品一極依存の収益構造と多角化事業の全面的停滞

1970年代を通じて鐘紡の事業構成は大きく歪み始めていた。化粧品事業は売上高、利益ともに拡大を続け、1976年時点で売上高544億円、利益64億円を計上する高収益事業に成長した。一方でペンタゴン経営のもとで育成が進められた住宅、食品、医薬品の各事業は損失が継続し、全社的な利益貢献には至らなかった。五事業のうち実質的に利益を生み出していたのは化粧品のみという構造が固定化していった。

この状況下でも繊維事業は依然として最大の売上規模と人員を抱えており、事業縮小や抜本的な構造転換は進まなかった。繊維部門の従業員数は約1万4千名に達し、年間100億円規模の経常赤字を計上していた。高収益の化粧品が全社の資金繰りを下支えする一方で、不採算事業の整理を先送りする余地を生み、事業間の収益格差を内包したまま経営が継続されていた。

決断

不採算事業の維持と工場跡地売却による損失の補填

1973年10月のオイルショックを契機に日本経済は不況局面に入り、工業製品全般の需要が低迷した。鐘紡では天然繊維および合成繊維の減収が顕在化し、多角化事業の赤字も重なって1975年4月期に無配へ転落した。経営陣は繊維事業の構造的赤字を認識しつつも大規模な工場閉鎖や人員削減には踏み切らず、化粧品の利益と資産売却で全社の収支を補填する方針を選択した。

具体的には一部の繊維工場を閉鎖し跡地を売却することで資金を確保した。都市部に立地する工場用地は不動産としての価値が高く、売却益は経常赤字の一部を相殺する役割を果たした。経常赤字が年間100億円規模に達する一方で純利益ベースでは30億円前後に抑える処理が可能になった。この手法は短期的な数値の安定化には寄与したが、繊維事業の根本的な再建を先送りする効果も持っていた。

結果

五期連続の経常赤字と会計処理による数字調整の常態化

1975年4月期から1979年4月期まで5期連続で経常赤字を計上する事態となった。繊維事業は構造不況の様相を呈しコスト削減や小規模な人員削減では損失を吸収しきれなかった。化粧品事業の利益は繊維の赤字補填に消費され、成長投資に回す余力は限られていた。化粧品が稼ぐほど不採算事業を維持する余地が生まれるという逆説的な構造が定着した。

また販売不振への対応として、本社から販売子会社への押し込み販売が常態化し「低稼働」と呼ばれる会計処理が黙認されるようになった。本社と販社の間で物品を回遊させることで見かけ上の売上を維持するこの手法は、実態と数字の乖離を組織内で許容する慣行を形成した。これらの対応は後年の粉飾決算を直接構成するものではなかったが、数字の整合性よりも事業の存続を優先する組織風土を固定化する一因となった。