グレーターカネボウ建設計画を策定
天然繊維の市況悪化と合成繊維分野での後発という二重の制約
1950年代を通じて日本の繊維産業は構造的な転換期を迎えていた。戦後復興期には綿、絹、毛といった天然繊維が需要を支えたが、朝鮮特需の反動以降、市況は悪化の一途をたどった。鐘紡は天然繊維への依存度が高く、主力製品の価格変動が収益を大きく左右する事業構造にあった。1958年前後には工場休止を余儀なくされ、博多、中津、中島といった主力工場の閉鎖に踏み切るなど、天然繊維事業の縮小は避けられない状況であった。
加えて合成繊維の分野では東レやテイジンが先行しナイロンやポリエステルの市場を拡大しており、鐘紡は後発の立場に置かれていた。天然繊維の収益性が低下する一方で、成長分野での競争力を確保できなければ数万人の雇用と全国の工場網を維持することは困難になりつつあった。企業規模を維持しながら収益構造を転換するための新たな経営構想が求められる局面であった。
グレーターカネボウ建設計画による多角化と数値目標の設定
1961年10月、鐘紡は武藤絲治社長のもとで「グレーターカネボウ建設計画」を公表した。天然繊維への偏重を改め、ナイロン、化粧品、食品を新たな成長領域に位置づけて多角化を進めることを基本方針としたものであった。計画では1964年10月までに半期売上高478億円、半期利益24億円という数値目標が設定された。繊維依存からの脱却と企業規模の維持を同時に達成する意図が明示された。
ナイロン分野では海外企業との技術提携をもとに防府工場で約200億円の大型投資を実行し、合成繊維市場への本格参入を図った。非繊維分野では買収を通じた事業基盤の拡充が進められ、1961年にはカネカから化粧品事業を取得し販売組織への投資を開始した。1964年にはハリスを買収して食品事業にも参入した。繊維事業の縮小ではなく新規事業の育成によって全社の売上構成を改善する手法が採用された。
売上構成の改善と昭和40年不況による成長停滞の顕在化
1960年代前半、鐘紡は合成繊維と非繊維事業の拡充によって売上構成比を改善した。とりわけ化粧品事業は短期間で売上規模を拡大し、非繊維部門の中核としての地位を確立しつつあった。天然繊維への一極依存から複数事業による収益構成への移行が進み、計画の方向性自体は一定の成果を示した。化粧品事業に対する販売組織への集中投資は、鐘紡の多角化戦略のなかで最も明確な成功事例となった。
一方で1965年の昭和40年不況による市況悪化とナイロン分野の競争激化により、1965年10月期には全社売上で減収に転じた。ナイロンでは先行企業との競争が厳しく後発参入のハンディキャップは容易に解消されなかった。多角化は売上構成の改善には寄与したが、既存の繊維事業の収益低下を補いきれず持続的な成長力の確立には課題を残した。グレーターカネボウ計画は構造改善の方向を示したものの、その完遂には至らなかった。