重要な意思決定
19514月

朝鮮特需で好調

背景

戦後復興期における大規模工場群の再稼働と生産体制

戦時中、鐘紡は軍需生産に従事し繊維以外の物資も製造していた。1945年の終戦により軍需を喪失した後、同社は繊維製品の製造へと事業を回帰させた。戦災で停止していた工場の復旧が段階的に進められ、生産体制は回復していった。1953年時点で鐘紡は国内に30を超える繊維工場を稼働させ、うち18工場で従業員数が1000名を超えていた。

生産品目は綿、毛、絹といった天然繊維を中心に、化学繊維のスフも加えた構成であった。全国に分散配置された大規模工場群は戦後の需要増加に対応しうる供給体制を形成していたが、同時に固定費の負担も大きかった。天然繊維は市況性の高い商品であり、景気変動に対して価格調整の手段が限られる事業特性を持っていた。好況時には高い利益率が見込める反面、市況悪化時に雇用と設備を維持したまま収益を確保することは構造的に困難であった。

決断

天然繊維の全品目を維持した30超の工場体制の継続運営

鐘紡は戦後復興にあたり、戦前から築いた全国の工場網をそのまま維持・復旧する方針を選択した。綿、毛、絹、スフという全品目にわたる生産体制を継続し、工場閉鎖や品目の絞り込みは行わなかった。この判断の背景には、繊維が戦後日本の主要輸出品であり需要回復が見込まれたこと、さらに各工場が地域の雇用を支える拠点として機能しており急激な縮小が社会的に受容されにくい状況にあったことが挙げられる。

結果として鐘紡は、30超の工場と数万人の従業員を擁する体制で朝鮮戦争の特需を迎えることとなった。1950年6月の朝鮮戦争勃発は米軍向け物資の需要を急増させ、日本の繊維業界に空前の好況をもたらした。織機を一度動かせば一万円の利益が出るという意味から「ガチャマン景気」と呼ばれたこの局面で、鐘紡の大規模な生産能力はフル稼働し、需要の急拡大を取り込む態勢が整っていた。

結果

ガチャマン景気の利益率24%とその後の急速な反動減

1951年4月期、鐘紡は売上高168億円、税引後利益40億円を計上し、利益率は約24%に達した。戦後期としては際立って高い水準であり、全国に展開した工場群が一斉にフル稼働したことで特需による需要増を最大限に取り込んだ。大規模な生産能力を維持してきたことがこの局面では収益の押し上げ要因として機能した。しかしこの好業績は、天然繊維という市況商品が一時的な需要急増で価格上昇した結果であり、鐘紡の事業構造が本質的に改善したことを意味するものではなかった。

1952年までに朝鮮特需が一巡すると市況は急速に変化した。主力製品である綿、毛、絹はいずれも市況性の高い商品であり、需要減少に対して鐘紡が自ら価格を維持する手段は限られていた。1951年4月期をピークに利益は純利益ベースで減少局面に転じ、30超の工場と数万人の雇用を抱えたまま市況に依存する収益構造の脆弱性が顕在化した。この構造は後の繊維不況と多角化への傾斜を不可避にする出発点でもあった。