重要な意思決定
20013月

富士ゼロックスを連結子会社化

背景

写真フィルム需要の構造的減少と連結売上構成の再設計の必要性

1990年代後半から2000年前後にかけて、デジタルカメラの普及が急速に進み、写真フィルム市場は構造的な縮小局面に入りつつあった。家庭用途を中心に撮影行動がデジタルへ移行し、フィルム消費量は中長期的に減少する見通しが現実味を帯びていた。富士フイルムにとって写真フィルムは依然として売上構成比の高い事業であり、需要減少は連結業績全体に直接的な影響を及ぼす懸念材料となっていた。

一方で、1962年に合弁設立された富士ゼロックスは、複写機・プリンター事業を中核に売上高1兆円前後の規模まで成長していた。事務機市場はIT化の進展とともに拡大を続け、収益性も比較的高水準にあったが、富士フイルムにとっては持分法適用会社であり、その売上は連結数値に反映されていなかった。写真フィルム事業の売上減少が予想されるなかで、全社の売上構成をどう再設計するかが経営上の重要な論点となっていた。

2000年3月期に富士写真フイルムは減収決算を計上し、写真フィルム市場の変調が業績に表れ始めた。同年には古森重隆氏が社長に就任し、経営陣の世代交代が進められた。新体制のもとで写真フィルム依存からの脱却と事業構造の再編が経営課題として明確に位置づけられるなかで、富士ゼロックスの連結上の位置づけを変更する選択肢が具体的に検討され始めていた。

決断

米ゼロックスからの株式追加取得による連結子会社化

2001年3月、富士フイルムはパートナーである米ゼロックス社から富士ゼロックス株式の25%を追加取得することを決定した。これにより出資比率は50%から75%へ引き上げられ、富士ゼロックスは連結子会社となった。この判断は、技術統合や事業再編を直ちに推進するというより、連結ベースでの売上高と事業構成を組み替える狙いが強く表れていた。

富士ゼロックスは売上高約1兆円規模の企業であり、連結化によってその売上が富士フイルムの連結売上高に加算される。写真フィルム需要の減少による売上低迷を、複写機事業の売上で補完する構図が成立した。既存の合弁関係を前提とした追加取得であったため、投下資本に対する事業リスクは相対的に抑えられていた。会計上の連結範囲変更によって時間を確保する判断であった。

この判断の特徴は、新規事業への投資や既存事業の売却といった直接的な構造転換ではなく、グループ内の既存関係を再編することで連結売上の構成を変えた点にあった。写真フィルムの代替事業を短期間で構築することは困難であったが、連結化によって全社業績の急激な悪化を回避しつつ、事業転換に要する時間を確保する効果が期待されていた。

結果

コングロマリット化と組織統合の起点としての機能

2001年度以降、富士フイルムの連結売上高には富士ゼロックスの売上が加算され、全社規模は大きく拡張した。富士ゼロックスは安定した収益性を持つ事業であり、全社業績に継続的に寄与した。この結果、同社は「写真フィルム」を中心とする企業から、「写真フィルム」と「複写機」という異なる事業特性を併せ持つコングロマリットへと性格を変えていった。

2006年10月には持株会社制へ移行し、富士フイルムホールディングスの傘下に富士フイルムと富士ゼロックスを配置する体制が整えられた。2007年には両社の本社を東京ミッドタウンへ移転し、人事・労務の共通化を進めるなど、実務面での統合作業が本格化した。連結子会社化は会計上の対応にとどまらず、後年の持株会社制移行と経営一体化への起点として機能した。

富士ゼロックスの連結化は、写真フィルム事業の縮小に対する即時の解決策ではなかったが、連結売上の急激な目減りを回避し、液晶部材や医薬品といった次の成長事業への投資時間を確保する緩衝材として作用した。2001年の判断は、事業ポートフォリオの転換を一気に実行するのではなく、段階的に進めるための時間設計の起点であった。