重要な意思決定
196210月

富士ゼロックスを合弁設立

背景

複写機市場の急拡大と電子写真技術の事業化に向けた合弁の検討

1950年代後半、写真材料で事業基盤を築いていた富士写真フイルムは、銀塩写真とは異なる技術潮流として電子写真に注目していた。電子写真は帯電・露光・現像を電気的に制御する方式であり、複写用途において高い処理速度と再現性を示していた。米国ではゼロックス社が複写機の商業化に成功して事務機市場で急速にシェアを拡大しており、電子写真の事業化可能性が現実として示されていた。

国内では事務作業の機械化需要が顕在化しつつあったが、電子写真技術を事業として内製化できる企業は存在しなかった。富士写真フイルムにとって電子写真は、銀塩写真の延長ではなく、事業ポートフォリオを非連続に拡張する選択肢として位置づけられていた。ただし技術の開発難易度と投資規模を踏まえると、単独での事業化はリスクが大きく、外部パートナーとの連携が現実的な手法として検討されていた。

決断

英ランク・ゼロックスとの合弁による富士ゼロックスの設立

1962年、富士写真フイルムは英ランク・ゼロックスと折半出資で富士ゼロックス株式会社を設立した。製造は富士写真フイルム側、販売はゼロックスのブランドとチャネルを活用する体制が設計された。単なるライセンス契約ではなく、製造技術を国内に取り込み内製化を前提とした合弁形式が採られた点に特徴があった。技術導入と市場開拓を同時に進めつつ、初期投資のリスクを分散する設計であった。

富士写真フイルムは感光材料や精密加工で培った品質管理技術を複写機の国産化に転用し、ゼロックス側のブランド力と販売網を活用することで市場浸透を加速させた。合弁設立は自社単独での研究開発リスクを回避しつつ、電子写真技術を段階的に内製化していく選択であった。将来的には製造・販売を一体で担う体制への移行が視野に入れられていた。

結果

複写機事業の急成長と写真材料メーカーからの事業領域の拡張

富士ゼロックスは設立後、複写機需要の拡大とともに急速に事業規模を拡大した。電子写真複写機は事務作業の効率化ニーズに合致し、1970年代には国内複写機市場で主要な地位を確立した。1971年には製造部門が富士ゼロックスへ移管され、製造・販売を一体で担う体制に移行した。写真材料とは異なる収益構造を持つ事業が確立されたことで、富士写真フイルムの事業リスクの分散が図られた。

電子写真技術を基盤とした応用開発も進み、複写用途以外の産業分野にも展開が広がった。1962年の合弁設立は、写真材料メーカーが事務機・産業機器分野へと事業領域を拡張する起点となった。一方で、日米の市場を分断する合弁構造は後年の事業再編において意思決定の複雑化を招く要因となり、この構造的課題は完全子会社化に至るまで数十年にわたって残存することになる。