ブラザー工業の歴史

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1908
4月

安井ミシン商会を個人創業

安井兼吉氏が熱田兵器廠のエンジニアを辞めて、名古屋市内でミシンの修理および部品製造店を開業。使い物にならなくなった中古ミシンを買い取って修理・販売していた。当時は、国内の精密加工技術が未熟だったため、外国製ミシン(シンガー社)が市場を席巻しており、安井ミシン商会はミシンの修理に徹していた。

1926

安井ミシン兄弟商会に改称

創業者の安井兼吉氏が逝去したことを受け、息子の安井正義氏(当時22歳)が家業を引き継いだ。正義氏の弟5人と妹4人の合計10人が、ミシン修理業に従事したことから、屋号を「安井ミシン兄弟商会」へと変更。名古屋市内の商店街である熱田伝馬町に店を構えた

1928
1月

麦わら帽子製造用環縫ミシンを開発。商標「BROTHER」を制定

経済不況によりミシン修理の需要が減少した。そこで、ミシン製造に参入することを決定。部品加工の旋盤(自由エキセン旋盤)の内製化に成功し、これを受けて「麦わら帽子製造用環縫ミシン」を開発。販売のために商標「BROTHER」を制定した。これらの経緯から、ブラザーは工作機械の内製化に特色があるミシンメーカーとなり、生産技術に強みが蓄積された。

証言
安井正義(ブラザー工業・社長)

私には10人の兄弟がいます。やむを得ないので、10人の兄弟の労力を資本としてやろう、と言うことでミシンの製造を始めました。そしてやっと出来上がり、名前をなんとつけようかということになり、兄弟で協力して作ったのだから、ブラザーがよかろう卯と言うことになったのです。ブラザーは同胞という大きな意味もありますから

1964/03/16野田経済
1932
11月

シンガーの独占を問題視。家庭用ミシンを国産化

戦前の日本では米国のシンガー社が日本市場のシェア90%を握っていた。安井正義氏は外貨が流出することを危惧してミシンの国産化を決意。ミシンの国産化を実現し、国産の家庭用ミシン「家庭用本縫ミシン15種70型」を開発した。以後、ブラザーは国内のミシンの主力メーカーとして業容を拡大する

1934
1月

日本ミシン製造株式会社を設立

その後、1930年代を通じて日本は戦時体制に突入し、日本のミシン市場の100%を独占していたシンガー社が撤退。そこで、ブラザーはシンガー社撤退のチャンスをものにすべく株式会社に組織変更して、業容の拡大に備えた

1939
1月

名古屋市内に星崎工場を新設

1941
7月

ブラザーミシン販売株式会社を設立

ミシンの国内販売を拡大するために「ブラザーミシン販売株式会社」を設立し、製造と販売で別法人とした。シンガー出身の営業マンによって経営されたため、資本関係も希薄で、ブラザー販売は子会社ではなかった。この販売政策は1990年代まで続いたが、ブラザー工業(製造)が販売をコントロールできないという負の側面を残してしまった。

1954
4月

編機と家電の製造販売に新規参入

ミシンが夏に売れる季節商品だったため、工場稼働率を安定化するために新規事業の本格展開を開始。ミシンの製造で培った金属のプレス加工技術を活かして、編み機と家電の製造を開始した。家電領域では、1954年に洗濯機に参入、1957年には冷蔵庫に参入し、1970年代のブラザーの売上高のうち、10%〜20%を家電が占めた。

証言
安井正義(ブラザー工業・社長)

ミシンから他のいろいろな多角経営に入っているんで違ったものをやっているように見られるんですが、実際はそうじゃないのです。電化製品をやりかけたこと、編み機をやりかけたことによって技術が非常に進歩するんですね。そういうものをミックスしたものが、タイプライターです。だから、自然の変化であって、私は関連したものと思っています。それから、工作機もミシンを作りかけたとき資本がなく、工作機が買えず、まず工作機から作ろうというところから始めたんですから、工作技術は昔から相当進歩したものを持っています。そういうものがだんだん整備され余力ができてきましたので、工作機をやっているといった次第です。

1964/03/16野田経済
1954
5月

米国販売の現地法人を設立

ミシンの海外輸出を本格化するため、北米に現地法人を設立

1959
3月

ミシン輸出が累計100万台

1961
5月

欧文タイプライターの生産を開始

輸出子会社の現地社長に要請される形で、欧文タイプライターの生産を開始。ブラザーは安さを武器としており、当時、事務合理化を目指していた米国企業のニーズを捉えた。ブラザー工業にとっては事務機器領域への参入となった

証言
安井正義(ブラザー工業・社長)

タイプライターは全部輸出です。(略)同業者は4社ほどありますが、あまり輸出をやっていません。(略)ミシンが先で、ミシンの販売ルートにタイプライターが載っているわけですから。新製品ができると生産と同時にさっと販売ができるという強みをうちは持っています。よそのように製品ができたから販売網を作ろうという心配はありません。(略)海外に向くものを作りさえすれば、一斉に販売のスタートが切れる。ですから、計画的な生産が可能になってきた

1964/03/16野田経済
1962

ブラザー工業株式会社に商号変更

経営の多角化を受けて「日本ミシン製造株式会社」から「ブラザー工業株式会社」に商号変更

1962
11月

工作機械の生産を開始

ミシン製造のために内製化していた工作機械(タッピングマシン)の外販を開始

1963
1月

東京証券取引所第2部に株式上場

1968

英ジョーンズ・ソーイングマシン社の株式42.5%を取得

経営不振に陥っていたイギリスの大手ミシンメーカー・ジョーンズ社(英国内のシェア2位)の株式42.5%を取得。さらに1972年までに株式の追加取得を実施して52%を確保する方針を公表。ブラザー工業にとっては、欧米における販売シェアの確保がねらい。初の本格的な海外買収であり「ブラザーの英国上陸」として注目を集めた

証言
安井正義(ブラザー工業・社長)

次の目標は、世界大手のミシン会社シンガーと本国の米国で真正面からやり合いたい。ジョーンズ社の販売網を確保しようというのが、系列下に収めた最大の狙いである。ジョーンズ社のブランド(商標)を利用すれば、シンガーを抜いて英国最大のシェアを確保することもできる

1971
2月

高速ドットプリンンターを共同開発

米セントロニクス社向けのOEMとして、ドットプリンターの生産を開始。事務機領域で「タイプライター」にかわる製品として、プリンターに注力する原点となった

1978
11月

台湾にミシン製造の現地法人を新設

1971年のニクソンショックを契機として、日本国内で円高ドル安が進行。ブラザーでもミシン輸出の採算が悪化したため、台湾に生産工場を新設して為替リスクの低減を目論んだ

1983

売上構成で事務機器がミシンを凌駕

FY1983において売上構成比の内訳で、事務機器(39.3%)に対してミシン(27.9%)となり、事務機器が祖業のミシンを凌駕した。ブラザーの事務機器の主力はオフィス向けタイプライターであり、業態転換が鮮明となった

1985
2月

英国にタイプライター製造の現地法人を新設

タイプライターの欧米への輸出に対して、日本のタイプライター業者と輸出国の間で貿易摩擦が発生。政治問題に対処するため、ブラザーはイギリスにタイプライターの製造拠点を新設

1989
3月

マレーシアにタイプライター部品製造の現地法人を新設

1989

21世紀委員会を発足(長期計画)

円高ドル安の進行によってタイプライター輸出の採算が悪化。そこで安井義博(当時社長)は「21世紀委員会」というチームを発足して、長期計画を議論。若手社員から発案された新規事業に投資する方針を決めた。そして、3つの新規事業として「タケル(ソフトウェアの通信販売)」「カラーコピー機」「ファックス」に参入した。

証言
安井義博(ブラザー工業・社長)

役員の中にはタイプライターの神様みたいな人はいても、これから事業として拡大したいエレクトロニクスのことはどうも分からない。それで「21世紀委員会」という1チーム7人からなる年代別のチームを3つ作りました。平均年齢が50歳、40歳、30歳で、それぞれにブラザーのあるべき姿を指紋してもらったんです。その結果を簡単に言うと、50代は改善、40代は改革。これに対して30代は革新で、家電の撤退など創造的な破壊を含んだ内容でした。要するに選択と集中ですよ。若い人は不満が多いだけでなく、アンテナも優れていると思いますね。

結局、30代と40代の中間的な形で、若い人を中心にして情報機器関連を伸ばしていきました。(略)既存の事業部の長から見れば、今の事業を伸ばしていくことが大切なんだから、新規事業は人食い虫、カネ食い虫ですよ。引き受けたいと思う人はいません。だから新事業は社長が囲ってやって、人やカネをつけてやることが必要なのです。

2003/04/07日経ビジネス
1991
5月

カラーコピー機の開発失敗

カラーコピー機は開発に100億円を投資するが失敗。製造の新規事業で残されたのは、FAX事業だけとなった。

1991
12月

中国に家庭用ミシン製造の現地法人を新設

1992
5月

子会社エクシングを設立。通信カラオケ事業に新規参入

新規事業として失敗した「タケル(ゲームの通信販売)」の技術を転用して、普及途上にあった通信カラオケ事業に参入。カラオケ業界ではディスク型(LD)から通信型(ISDN)への技術的な過渡期にあり、ブラザーは通信型に絞ることで頭角を表した。だが、FY1996にエクシング事業は32億円の最終赤字に転落しており、前途多難な状況に陥った

1992

米国でFAX-600を発売

カラーコピー機の開発失敗で事務機器部門の撤退が社内検討されたが、画像システム事業部(菅原徹明氏)では最後のチャンスとして格安FAXを開発。市場調査をしなかったカラーコピーでの反省を受けて、FAXでは米国の市場調査を実施。そこで、安さにニーズがある点が判明(当時のFAXの主流価格帯は799ドル)し、ブラザーの開発チームに「販売まで1年。発売価格399ドルで」でFAXを作るように要請した。開発チームは、販売価格から逆算する形で、部品の調達先を選定しつつ、複数の工程進捗を同時並行で管理した。また、製造拠点は国内ではなく中国の現地法人(深圳・南嶺工場)を選定した。この結果、ブラザー工業は「FAX-600」を399ドルで米国にて発売。競合よりも安い価格設定によって、米国のFAX市場を席巻した

証言
安井義博(ブラザー工業・社長)

ファックスがうまくいかなかった時は担当役員が撤退したいと言いました。エクシングの存続に反対意見が多かったのも事実です。それでも頑張って続けさせたのは、ミシンやタイプライターの輸出に頼っていては、売上高の安定成長は難しいと考えたからです。なんとしても国内で事業を伸ばしたいというこだわりがあったからなのです。

2002/08/19日経ビジネス
1995
3月

小型レーザー複合機を発売

米国市場で小型レーザー複合機を発売。米国で普及していた事務機器の量販店に向けて大量供給することで、業績を軌道に乗せた

1997
11月

カラーインクジェット複合機を発売

インクジェット複合機、MFC-7000FCを発売。米国市場において競合製品よりも安い「1000ドル以下」で発売することで、市場を開拓

1999
4月

ブラザー販売株式会社を完全子会社化

国内のミシン販売を請け負っていたブラザー販売は、ミシン事業の低迷によって経営危機に陥っていた。そこで、ブラザー工業は「ブラザー」のブランドが傷つくことを危惧し、ブラザー販売の救済を決定。ブラザー販売の買収を決定し、半世紀に及ぶ製版販分離に終止符を打った。買収の代償として、ブラザー販売が背負っていた有利子負債635億円を引き継いだ

2001
9月

中国に工業用ミシン製造の現地法人を設立

2003
3月

19期ぶり最高益を達成

インクジェットプリンター・複合機の好調により、FY2003にブラザーは19期ぶりの最高益を達成。競争が激しい国内のオフィス市場ではなく、未開拓だった米国のSOHO(個人)向けの市場に絞ったことが功を奏した。

2006
4月

中国におけるプリンターの生産委託を自社運営に切り替え

2007
6月

小池利和氏が代表取締役社長に就任

1990年代を通じて米国で事務機器(FAX・複合機・インクジェットプリンター)の事業責任者であった小池氏がブラザーの代表取締役社長に就任

2008
6月

HOYAのモバイルプリンター事業を買収

2011
10月

フィリピンにインクジェット製品の現地法人を設立

2015
6月

英Domino社を買収

ブラザー工業は英国の業務用印刷機メーカーであるDomino Pronting Science社を1932億円で買収する方針を発表した。Domino社は食品包装向けのプリントで欧州を中心に展開する企業で、FY2014の売上高は648億円(営業利益率約20%)。ブラザーは2002年に策定した売上高1兆円の経営計画「グローバルビジョン21」を実現するため、家庭向けプリンターの市場低迷にかわる新領域として、産業用プリンティング分野のDomino社の買収を決断した。買収費用は借入によって調達して8年での返済計画を公表した。ブラザーの歴史における巨額買収であり、その成否に注目が集まった。

2018
6月

佐々木一郎氏が代表取締役社長に就任

2021
3月

英Domino社で減損計上

ドミノ事業の収益進捗の遅れのため「のれん」総額746億円に対して272億円の減損を決定

2021
12月

ニッセイを買収

2025 (c) Yutaka Sugiura, Author
売上
ブラザー工業:売上高
■単体 | ■連結 (単位:億円)
7,109億円
売上収益:2022/3
利益
ブラザー工業:売上高_当期純利益率
○単体 | ○連結 (単位:%)
8.5%
利益率:2022/3
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