中期5カ年計画の策定・高機能材に積極投資
石油化学撤退後の経営方針転換と研究開発への全社集中
1988年の石油化学事業からの完全撤退により、日産化学は主力事業を失った状態で新たな成長戦略を構築する必要に迫られた。1989年に中井武夫氏(日産化学・社長)は中期五カ年計画を策定し、農薬・医薬品・液晶材料などの高機能化学品を中心に投資を行う方針を明確にした。売上規模ではなく利益を重視する経営に舵を切り、ニッチながらも高収益な製品領域への集中を全社方針として打ち出した。
石油化学撤退という痛みを伴う決断を経て、日産化学に残った社員の間では新規事業への危機感と使命感が共有された。中井社長は「農薬事業を核としたファイン化路線で個性的な企業を目指す」という方向性を示しており、方針が明確になったことで社員は研究開発に全力を注いだ。中井社長は「会社存亡の危機にあって社員の士気が急速に高まり、目の色を変えて新規事業に取り組んだ」と述懐しており、撤退が組織の活性化を促す契機となった。
農薬・医薬品・機能性材料の3分野で主力製品を連続投入
農薬部門では1989年にシリウス(水稲向け除草剤)、1991年にサンマイト(果樹・野菜向け殺虫剤)、1994年にパーミット(トウモロコシ向け除草剤)を相次いで発売した。いずれもニッチな作物・用途に特化した製品であり、市場規模は限定的ながらも高い利益率を確保した。医薬品分野では1986年から血液凝固剤の臨床試験を開始し、1994年に初の自社開発医薬品ランデル(血圧降下剤)を発売、2003年にはリバロ(高コレステロール血症治療薬)を投入して安定的な収益基盤を構築した。
機能性材料分野では、1989年に液晶パネル向けの配向膜材料、1998年に半導体向けのコーティング材料にそれぞれ参入した。2000年代を通じた半導体と液晶パネルの需要拡大を追い風に、機能性材料は日産化学の高成長・高収益事業に育った。石油化学撤退後の約10年間で農薬・医薬品・機能性材料の3分野に主力製品を揃えたことで、日産化学は規模を追わず研究開発力で競争する高付加価値型の化学メーカーへの転換を実現した。