重要な意思決定
199312月

小商圏型メガドラッグストアの多店舗展開を開始

背景

大店法改正と地方小売の転換期

宇野正晃は1973年に宮崎県延岡市で「宇野回天堂薬局」を創業し、約10年間にわたり個人薬局を経営した。1983年に有限会社コスモス薬品を設立し、延岡市に66平方メートルの岡富店を開店。1987年に初の郊外型店舗(平原店、165平方メートル)を出すが、依然として延岡市内に小さな薬局を数店構えるのみであった。1991年に株式会社に組織変更し、1993年1月に回天堂薬局となの花薬局を吸収合併。創業から20年間、宇野は延岡という人口13万人の地方都市で小規模経営に徹していた。

1990年代に入り、大規模小売店舗法の運用緩和により郊外への大型店出店が現実的な選択肢となりつつあった。当時のドラッグストアは都市部の繁華街や商店街に立地する小型店(100〜300平方メートル)が主流であり、医薬品と化粧品を中心に販売する業態であった。地方の小商圏においてはドラッグストアの存在感は薄く、消費者は食品スーパー、コンビニ、個人薬局を使い分けて日常の買い物を済ませていた。

宇野は、この地方小商圏の非効率にビジネス機会を見出した。人口1万〜2万人のエリアでは食品スーパー、コンビニ、薬局が分散しており、消費者は日常の買い物のために複数の店を回る必要があった。しかもドラッグストアには医薬品・化粧品という粗利率40〜50%の商材がある。この利益を原資に食品や日用品を低価格で提供すれば、食品スーパーとコンビニの双方から顧客を奪える――宇野はそう構想した。

決断

人口2万人の小商圏に大型ドラッグストアを出店

1993年12月、宇野正晃は宮崎市に売場面積600平方メートルの浮之城店を開店した。延岡市で20年間営んできた小型薬局とは根本的に異なるコンセプトの店舗であった。医薬品・化粧品に加えて食品・日用雑貨を取り揃え、日常の消耗品を一か所で購入できる店舗を志向した。ここを起点に、宇野は本格的なドラッグストアの多店舗展開に踏み切った。

戦略の核心は「小商圏型メガドラッグストア」という独自の業態開発にあった。商圏人口わずか1万〜2万人のエリアに大型店を出店し、医薬品販売の高い利益率を原資として食品の価格を引き下げる。生鮮食品や惣菜は一切取り扱わず、加工食品・日配品に特化することで管理コストと廃棄ロスを抑制する設計とした。宇野が掲げたコンセプトは「ショートタイムショッピング」――急に必要になったものをすぐに買って帰れる店であった。

店舗運営においては、個々の店舗を突出して繁盛させるのではなく、全店舗の均質化を重視した。「繁盛店はつくらない」と宇野は公言し、店長による売り場づくりの裁量を抑え、定番商品の品揃えと低価格で日常使いの消費者に的を絞った。この標準化思想は、後に年間100店以上の新規出店を可能にする原動力となる。再現性の高い出店モデルを築くことで、出店判断から開店までのプロセスを効率化し、急速な多店舗展開の土台を据えた。

結果

九州全県へのドミナント出店を達成

浮之城店を皮切りに、コスモス薬品は九州各県へドミナント出店を加速させた。1997年に大分県、1998年に熊本県、1999年に福岡県・鹿児島県と進出し、2002年に長崎県、2004年7月の佐賀県進出をもって九州全7県への展開を達成した。出店のたびに周辺の食品スーパーやコンビニから顧客が流入し、小商圏における圧倒的なシェアを獲得していった。

店舗規模も段階的に拡大した。浮之城店の600平方メートルから、1999年の日向店(宮崎県)で初の1,000平方メートル型を実現し、2003年の人吉店(熊本県)で初の2,000平方メートル型を投入した。2,000平方メートルは一般的な食品スーパーの約2倍の規模であり、小さな商圏にあえて大型店を出すという逆転の発想が形になった。以降の新規出店は2,000平方メートル型を基本とし、立地に応じて1,000平方メートル型で補完する戦略が確立された。

2004年11月には東証マザーズに上場し、小商圏型メガドラッグストアというビジネスモデルの有効性が資本市場にも認められた。食品スーパー・コンビニ・ドラッグストアの機能を一店舗に集約したこの業態は、後に「フード&ドラッグ」と呼ばれる業界トレンドの先駆けとなった。医薬品の高粗利を原資に食品を低価格で販売するという構造は、他のドラッグストアチェーンの食品強化戦略にも影響を与え、業界全体の方向性を変える起点となった。