1952 年11月

半期赤字に転落。富士製鐵が救済

歴史的意義
仕入先が筆頭株主として救済した創業期の経営危機

日本触媒の経営危機において、富士製鐵は仕入先と筆頭株主という二つの立場から救済に動いた。ナフタリンの現物出資という形式は、現金支出を伴わずに資本増強と原料確保を同時に実現する手法であった。取引関係を資本関係に転換した構造が、不況期の安全弁として機能した。売上の90%を無水フタル酸に依存する単一製品リスクが顕在化した局面で、サプライヤーとの資本的紐帯が企業存続を左右した事例である。

背景

経済不況による塩ビ市場の縮小と赤字転落

1952年に日本経済が一時的な不況に陥ると、塩ビを含む工業製品全般の市場が縮小した。無水フタル酸の需要が減少して価格が下落し、売上高の90%を無水フタル酸に依存していた日本触媒の業績は直撃を受けた。1953年11月期(半期)に日本触媒は最終赤字に転落し、資本金を上回る規模の損失を計上した。

八谷泰造社長にとって社長就任から3〜4年目の試練であった。技術者としての経験はあったが経営者としての経験は浅く、人員整理にも踏み切らざるを得なかった。銀行からの借入は困難な状況にあり、財務改善の手段は増資による資金調達に限られていた。

決断

富士製鐵・永野社長への直談判による増資の実現

八谷氏は筆頭株主であった富士製鐵に対して第三者割当増資の引受けを依頼した。無水フタル酸の原料であるナフタリンの仕入先として取引関係があり、前回の増資でも富士製鐵が引受けていた実績があった。八谷氏は富士製鐵の永野重雄社長に移動中の車内で直談判し、増資を依頼した。

富士製鐵の社内では増資案は一度否決されたが、永野社長の判断で最終的に承認された。ただし、富士製鐵自身も経済不況の影響を受けていたため、現金ではなくナフタリンの現物出資という形式で増資に応じた。原料の現物出資により、日本触媒は運転資金の負担を軽減しつつ資本を増強することができた。

結果

不況の一巡と無水フタル酸シェア1位の確立

1953年の経済不況が一巡すると、塩ビ市場は再び拡大に転じた。無水フタル酸のトップメーカーとして日本触媒は需要回復の恩恵を受け、国内シェア70%を確保するに至った。不況期を富士製鐵の支援で乗り切ったことが、その後の市場拡大局面での優位につながった。

八谷氏は後年、「富士製鉄の永野さんに頼み込んで増資さしてもらって、やっと切り抜けた。今でも永野さんの方に足を向けて寝られない」と語っている。仕入先であり筆頭株主でもあった富士製鐵との関係が、創業間もない日本触媒の存続を支えた。単一製品への依存リスクが顕在化した局面で、取引関係に基づく資本関係が安全弁として機能した事例であった。