重要な意思決定
19952月

水島社長が引責退任

背景

郊外SCと低価格専門店の台頭が借入依存の百貨店モデルを直撃した構造

1990年代に入ると、郊外では自動車来店を前提としたショッピングセンターが拡大し、都心部では低価格専門店が急速に存在感を高めた。価格や品揃えに特化した業態が消費者の支持を集め、総合的な品揃えを特徴とする百貨店の来店動機は相対的に弱まっていった。

同時期、そごうは地方中核都市を中心に大型店を相次いで開設しており、その多くを借入金で賄っていた。売上高の伸びが鈍化するなかで、有利子負債の償還負担と固定費が重くのしかかり、資金繰りと財務体質の双方に課題を抱える構造が顕在化していった。

決断

30年以上にわたり経営を主導した水島廣雄が引責退任し体制を刷新

業績悪化と財務負担の増大を受け、経営責任の所在が問われる局面となった。長期にわたり経営を主導してきた水島廣雄氏は、収益力の低下と赤字転落という結果を受け止め、経営トップの交代による体制刷新を図る必要があるとの判断に至った。

1995年2月、水島氏は代表権を返上し退任した。後任体制の下で、過去の出店戦略や資産構成の見直し、財務改善に向けた対応が進められることとなった。長期政権の終焉は、そごうが成長局面から再建局面へ移行したことを象徴する出来事であった。

結果

営業赤字への転落と金融機関主導の再建局面への移行が始まった転換点

退任時点で、そごうは営業赤字に転落し、金融機関との関係見直しや資産売却を含む対応を迫られる状況にあった。出店拡大を前提に構築された財務構造は、需要環境の変化に対して弾力性を欠いており、固定費の圧縮が急務となった。

この局面以降、百貨店業界全体が収益構造の再設計を求められることになる。そごうにとっても、水島体制の終焉は単なる人事ではなく、「銀行借入・地価高騰・百貨店の成長」を前提とした経営モデルの転換点であったと位置づけられる。