重要な意思決定
19745月

セブンイレブン1号店を豊洲に開業

背景

米セブンイレブンとの提携と小型店舗業態への参入構想

1973年11月にイトーヨーカ堂は米国のサウスランド社と業務提携し、セブンイレブンのコンビニ事業を日本国内で展開する権利を取得した。ロイヤリティは売上高の0.5%であった。伊藤雅俊氏は「アメリカのセブンイレブンは昭和30年〜40年の間に500店から5000店に伸びている。日本でのコンビニエンスストアはアメリカに約20年遅れている」と語り、日本でもコンビニ市場が成長する余地があると判断していた。

当時のイトーヨーカ堂は総合スーパーの多店舗展開を主力としていたが、大規模小売店舗法による出店規制が強化されつつあり、大型店の新規出店には政治的・社会的な制約が伴うようになっていた。小型店舗業態であるコンビニエンスストアは、こうした規制の対象外であり、出店を加速できる可能性を持っていた。

イトーヨーカ堂はコンビニ事業の立ち上げにあたり、直営ではなくフランチャイズ方式を基本とする方針を採用した。「難易度の高いFCで事業を軌道に乗せれば、ノウハウが蓄積されやすい」と判断したためであった。自社で店舗を保有せず、加盟店オーナーの主体性に事業を委ねるモデルは、資本効率の面でも合理的な選択であった。

決断

酒屋の2代目による自発的な加盟申し込みが1号店を生んだ経緯

1973年12月にイトーヨーカ堂のセブンイレブン係宛に、東京都江東区豊洲で酒屋「山本茂商店」を営む山本憲司氏(当時24歳)からFC加盟を希望する手紙が届いた。山本氏は業界雑誌を通じて米国のセブンイレブンを知っており、イトーヨーカ堂との提携を日経流通新聞で知って自ら問い合わせた。セブンイレブンはこの時点でFC加盟店の募集を開始していなかった。

1974年1月、セブンイレブンは山本氏の熱意を評価し、山本茂商店を1号店として加盟を認めた。山本茂商店は酒屋であったため酒類販売免許を有しており、品揃えの面で優位であったことも選定理由のひとつであった。セブンイレブンは山本氏に対して、酒屋時代の粗利額の最低保証と、撤退時の原状回復・補償を約束した。

1974年5月15日午前7時、旧山本茂商店を改装した25坪の店舗がセブンイレブン1号店として開業した。豊洲は当時工場が集積する地区であり、立地条件としては恵まれていなかったが、年商1.5億円の予想に対して実際には1.8億円を記録した。

結果

5年で591店舗、ドミナント展開によるコンビニ業態の確立

1号店の好調な滑り出しを受けて各地からセブンイレブンへの加盟の問い合わせが相次いだ。セブンイレブンは物流効率化のためにドミナント展開を基本方針とし、関東の特定地域に集中して酒販店・食料品店をFC契約で転換していった。

1976年12月に国内100店舗、1978年12月に500店舗を突破した。FY1978には売上高725億円・591店舗に達し、コンビニ業態としての事業基盤を確立した。1号店開業からわずか5年で591店舗という出店ペースは、イトーヨーカ堂が20年かけて27店舗を展開したスーパー事業とは対照的であった。

1979年にセブンイレブンは東証2部に株式上場を果たした。コンビニ事業は独立した上場企業として成長する基盤を整え、以後のイトーヨーカ堂グループにおいて総合スーパーを凌ぐ収益源へと成長していく。1号店が酒屋の2代目オーナーの自発的な手紙から始まったという経緯は、FC型コンビニの本質が加盟店オーナーの意思と主体性に依拠することを象徴している。