ホーキンスの国内独占販売権を取得
ロンドンの若者に流行していた革靴ブランドへの着眼
カジュアルウェアの買付のためにロンドンへ渡航した三木正浩氏は、現地の若者がホーキンスの革靴をジーンズに合わせてカジュアルに履きこなしている姿に着眼した。当時のロンドンではホーキンスが流行ブランドとして定着していたが、日本国内では完全に無名であった。
1980年代後半に日本で「アメカジ」として流行するファッションスタイルは、この時点ではまだ到来していなかった。三木氏は「当時、日本にはファッション性と実用性を兼ね備えた靴がなかった」と語った通り、日本市場の空白を見抜いてホーキンスの日本国内での販売に将来性があると判断した。
現地店舗から直接ホーキンス社へ向かい独占販売権を交渉
三木氏はホーキンスの革靴を現地店舗で確認した後、そのままホーキンス社に直接出向いて日本における独占販売権の獲得交渉に臨んだ。日本では無名のブランドであったがゆえに、日本市場での販売権は未取得の状態であり、交渉の余地があった。三木氏の熱意が伝わり、1986年にホーキンスの独占販売権に関する契約を締結した。
独占販売権の獲得にあたり、三木氏は日本国内における生産ライセンスも取得した。これにより、単なる輸入販売にとどまらず、自社の管理下で生産・販売を一貫して手掛けるSPA(製造小売)の基盤を整えることが可能となった。
ホーキンスが主力商品となり事業構造が靴に傾斜
ホーキンスの取扱い開始とともに、ITCの売上構成はカジュアルウェアから革靴へと傾斜していった。ITCの売上拡大を支えたのはホーキンスの販売であり、起業時点では「カジュアルウェア全般」を取り扱っていた事業が、徐々に「メンズ向けカジュアルシューズ」に主力が移行した。
ホーキンスに加えて「コスビー」「バンズ」といった欧米ブランドの独占販売権も取得したが、いずれもホーキンスほどの販売規模には達しなかった。ホーキンスへの依存が高まったことは、ITCの収益を支える一方で、単一ブランドへの集中リスクを内包する構造でもあった。このリスクは、1990年代後半のアメカジブーム終焉時に顕在化することとなる。