重要な意思決定
19834月

北辰電機と合併

背景

工業計器業界3位の北辰電機が単独生存の限界を認識

1980年代初頭、工業計器業界ではグローバル競争が激化していた。米ハネウェル、米フォックスボローが世界市場を主導する中、国内では横河電機が首位、山武ハネウェルが2位、北辰電機が3位という序列であった。制御システムのデジタル化が進展し、研究開発費の負担が増大する中、業界3位の北辰電機は単独での長期的な生存に限界を感じ始めていた。

北辰電機の清水正博社長は、海外市場への展開力が不足している点を課題と認識していた。工業計器は石油精製や化学プラントなど装置産業向けの製品であり、海外の大型プラント案件を受注するにはグローバルな営業網と技術サポート体制が不可欠であった。北辰電機は国内市場では一定の地位を確保していたが、海外展開においては横河電機に大きく後れをとっていた。

横河電機と北辰電機の両社長は親の代からの付き合いがあり、業界団体でも会長(横河)・副会長(北辰)の関係にあった。北辰電機の清水社長が横河電機の横河正三社長に合併を持ちかけたとされ、ライバル企業でありながら経営トップ間の信頼関係が合併交渉の土壌となった。

決断

対等合併を標榜しつつ合併比率1:0.35で横河電機が主導

1983年4月、横河電機と北辰電機は合併し、商号を横河北辰電機に変更した。合併により横河電機は米ハネウェル、米フォックスボローに次ぐ世界3位の工業計器メーカーとなり、国内2位の山武ハネウェルとの差を拡大した。

対外的には「対等合併」を掲げたが、株式の合併比率は横河電機1.0株に対して北辰電機0.35株と、横河電機に有利な水準であった。横河電機にとっては、北辰電機が歴史的に強みを持つ航空機向け計器などの製品群を取り込める点がメリットであった。横河正三社長は社内からの突き上げを受けるほど北辰電機側に配慮したとされ、この融和策が合併のスムーズな進行に寄与した。

合併にあたって横河電機は人員整理を行わないことを確約した。この方針は1990年代前半まで維持され、横河電機は「人員削減をしない企業」として注目された。余剰人員は子会社への出向で対処するという手法であった。

結果

旧本社をキヤノンに売却しPMIを3年で完了

合併後、横河電機は約3年をかけて生産拠点統合計画を推進した。東京下丸子に存在した北辰電機の旧本社工場(約4.8万㎡)を閉鎖し、約1000名の人員を横河電機の武蔵野本社および甲府工場に配置転換した。旧本社跡地は隣接するキヤノンに売却し、売却益を集約先の工場における設備投資に充当した。

旧本社の閉鎖・売却というドラスティックな判断は、合併後の組織統合を加速する狙いがあった。拠点が分散したままでは旧北辰電機の人員が独立意識を保ちやすく、一体化が進まないリスクがあったためである。物理的に旧拠点を消滅させることで、横河電機への帰属意識を形成する効果を期待した施策と考えられる。

1986年には商号を横河電機に変更し、「北辰」の名を外した。合併から3年で拠点統合を完了し、商号変更で組織の一体化を対外的にも示した。人員削減なしで合併を完遂したことは業界内で評価されたが、この「人員削減をしない」方針は2003年に撤回されることになる。