GEと合弁で横河メディカルシステムを設立
オイルショック後の事業多角化として医療機器に参入
1973年のオイルショックにより、横河電機の主力顧客であった石油化学メーカーの設備投資が相次いで中止された。石油産業向けが売上の83%を占めていた横河電機にとって打撃は深刻であり、新規事業の開拓が急務となった。1976年、横河電機は米GEとX線CT装置に関する国内代理店契約を締結し、医療機器事業に参入した。
X線CTの国内市場では、東芝メディカルが39.6%のシェアで首位に立ち、横河電機(GE)が21.2%、日立メディコが10.5%と続いていた。GEにとって東芝メディカルとの競争を勝ち抜くには、日本国内での販売力強化が課題であった。横河電機にとってはGEの製品力を活用して新市場を開拓できる機会であり、両社の利害が一致した。
GE51%・横河49%の合弁会社を設立しマイノリティー出資へ
CTの販売が好調に推移し、1981年3月期には年間販売額が136億円に達した。この勢いを受けて1982年にGEと横河電機は合弁会社「横河メディカルシステム」を設立した。出資比率はGE51%・横河電機49%であり、全国40箇所以上の営業拠点を通じてフィールドエンジニアが販売・修理・保守に従事した。
1986年には出資比率がGE75%・横河電機25%に変更され、GEの国内販売子会社としての性格が強まった。横河電機はマイノリティー出資者として持分法適用関連会社に位置づけ、合弁会社からの配当収入と技術知見の獲得を継続した。HPとの合弁では51%の主導権を確保した横河電機が、GEとの合弁では49%から25%へと後退した構図は、製品力の主導権がどちらにあるかの違いを反映している。
GEブランドへの移行と横河電機の持分縮小
合弁会社は1994年にGE横河メディカルシステムに商号を変更し、2009年にはGEヘルスケアジャパンへと改称された。横河電機の出資比率は25%で維持されたが、社名から「横河」の名が消えたことは、合弁の実質がGEの日本法人であることを示していた。
横河電機にとって医療機器事業は、オイルショック後の事業多角化という文脈で開始されたが、最終的にはGEの国内展開を支援する役割に収斂した。横河電機は製品の開発・製造を担うのではなく、販路と保守網を提供するパートナーとしての位置づけに落ち着いた。自社技術を核とした計測・制御事業とは異なり、他社製品の国内販売を担う事業は横河電機の本流とはなり得なかった。