重要な意思決定
19639月

横河ヒューレットパッカードを設立

背景

高周波計測器で欧米に後れをとった1950年代の日本

1950年代、エレクトロニクス技術の発達に伴い高周波計測のニーズが急増した。電話の同時通話数を増やすには高周波技術が不可欠であり、通信機器の試験には高周波計測器が必要とされた。しかし横河電機を含む国内メーカーは開発に出遅れ、高周波計測器は輸入に依存する状況が続いていた。

米国では高周波計測器の市場をGR(ゼネラルラジオ)社とHP(ヒューレットパッカード)社の2社が争っていた。HPは1934年にシリコンバレーで創業されたベンチャー企業であったが、エレクトロニクスとコンピュータ技術を活用した計測器で急成長し、1957年に株式上場を果たしていた。工業計器の領域では横河電機が先に創業していたものの、高周波という新領域では後発のHPが技術的に先行していた。

横河電機の友田常務は1950年に渡米してGR社とHP社の工場を視察し、高周波計測器の将来性を認識していた。しかし当時の横河電機にはこれらの製品を国産化する技術力がなく、海外メーカーからの技術導入が不可避であった。横河正三常務は、老舗のGRではなく急成長するHPと組むべきだと早い段階から判断していた。

決断

株主の人脈が突破口となったHPとの合弁交渉

1961年、横河電機の横河正三常務は渡米し、HPとの提携交渉を開始した。山崎巌社長も1950年代半ばからHPにアプローチしていたが、HPは完全子会社以外に技術提供しない方針を掲げており、交渉は8年にわたって難航した。

突破口となったのは偶然の人脈であった。横河電機の大株主「ジャパン・ファンド」のガーナー氏がHP社の社外役員を兼任しており、山崎社長との面会で横河電機の提携意向を把握した。ガーナー氏がHPに伝えたところ、HPは方針を転換した。加えて、当時の日本では資本自由化の途上にあり、海外企業の日本進出には現地企業との合弁が政治的に必須であった事情も後押しした。

1963年8月、横河電機51%・HP49%の出資比率で横河ヒューレットパッカード(YHP)を設立。資本金5億円。1964年には八王子に本社工場を新設し、横河電機の武蔵野本社とは別の独立拠点として運営した。横河電機から380名の社員が移籍したが、発足から3年間は販売に苦戦して赤字が続き、100名が横河電機に引き上げるなど前途多難な船出であった。

結果

定価販売の徹底と親会社依存の排除が生んだ高収益合弁

苦戦を乗り越えたYHPは、工業計測器に加えて情報処理機器・医療機器へと事業を拡張し、1980年10月期に売上高465億円、経常利益64億円の高収益を達成した。経常利益率は13%を超え、日本の製造業における合弁会社としては稀有な収益性であった。

高収益を支えたのは、HP流の経営手法の導入であった。特に定価販売の徹底が特徴的で、工業計測器業界では大手顧客への値引きが慣行であったが、YHPは値引きを原則禁止した。例外は納品後30日以内の入金に対する1%の割引のみであった。また、横河正三は「子会社に高率配当を義務付けて親会社がこれに依存するのは事業家として絶対にやるべきことではない」として、YHPの配当率を20%以内に抑え、利益を合弁会社の成長投資に充てた。

人材面でも、横河電機からの出向ではなく完全移籍を原則とした。横河正三は「一時的に出向させたのでは二股膏薬になり本気にならない」と語り、親会社との人的依存を断ち切った。カネもヒトも親会社に依存させないという方針が、YHPを独立した高収益企業として成長させた要因であり、日本の合弁会社の中で際立った事例となった。