重要な意思決定
192012月

株式会社横河電機製作所を設立

背景

大正時代の計測器市場を支配していた欧米輸入品

大正時代の日本において、工業用計測器はウェスチングハウスやシーメンスなど欧米メーカーからの輸入に依存していた。電流計・電圧計・電力計といった精密電気計器の国産化は実現しておらず、通信省や海軍省が使用する計器も輸入品が主流であった。電気産業の発達に伴い計測需要は拡大していたが、国内にこれを担う技術基盤は存在しなかった。

建築家として帝国劇場・三越本店・東京証券取引所の設計に携わった横河民輔は、本業の建築に加えて技術を軸とした事業展開を志向していた。1907年には鉄骨橋梁分野に進出するため横河橋梁製作所を創業しており、1915年に電気計器の国産化を目的として東京渋谷に電気計器研究所を個人創業した。

決断

20代の技術者に計器の国産化を託した研究開発体制

電気計器研究所では、横河民輔の甥にあたる横河一郎や青木晋といった当時20代の技術者が計器の国産化に従事した。横河民輔は技術者の欧米留学を支援し、先端技術の導入を図った。1917年には精密電気計器(電流計・電圧計・電力計)の国産化に至り、試作品を通信省や海軍省に持参したところ、輸入品に劣らない評価を得た。

1920年12月、製品化の目処が立ったことを受けて株式会社横河電機製作所として法人化した。設立時の株主は6名であり、筆頭株主として横河一郎が約30%の株式を保有した。創業者の横河民輔は株式を保有せず、以後は横河一郎を中心とした横河家による同族経営が志向された。建築家が個人創業した研究所が、同族経営の計測器メーカーへと転換した起点であった。

結果

建築・橋梁・計測という横河民輔の技術多角化の一翼

横河電機の設立は、横河民輔個人の技術多角化戦略の一環として位置づけられる。建築設計の横河工務所、鉄骨橋梁の横河橋梁製作所、そして電気計器の横河電機製作所という三つの事業は、いずれも技術を核とした製造業であり、横河民輔は各社に技術者を配置して独立運営させた。

横河民輔が自ら株式を持たず、甥の横河一郎を筆頭株主に据えた点は、創業者が事業の運営を次世代に委ねる設計であった。この構造は、横河電機が創業者個人の企業ではなく横河家の企業として存続する基盤を作り出した。以後、横河電機は計測器の専業メーカーとして技術開発を重ねていくことになる。