重要な意思決定
1988

アライアンスにより日・米・欧の3極体制へ

背景

販売網を持たない海外市場への進出意欲と自力展開の困難

1980年代を通じて日立建機は主力の油圧ショベルにおける成長の軸を海外市場に求めた。国内ではコマツに次ぐ第2位の地位を確保していたものの、コマツやキャタピラーといった上位メーカーとの規模の差を縮めるには、先進国市場(北米・欧州)における販売拡大が不可欠であった。しかし日立建機は海外における販売網を持たず、現地市場での知名度も限られていた。

海外市場を自力で開拓するには、販売拠点の整備・サービス網の構築・ブランド認知の獲得に多額の先行投資と長期の時間を要する。1980年代の日立建機はその投資体力を持ち合わせておらず、コマツのように海外に直接進出する経営資源が不足していた。そこで日立建機は、海外の有力建機メーカーとの提携を通じて販売量を確保し、段階的に海外事業の基盤を築く戦略を選択した。

この戦略の前提には、日立建機の油圧ショベルの製品競争力があった。故障率の低さで国内市場において評価を得ていた油圧ショベルは、提携先に対するOEM供給品として十分な品質を有していた。自社ブランドでの展開は断念する代わりに、提携先の販売網を通じて量を確保する判断であった。

決断

米ディア社との提携による北米進出と欧フィアット社との提携

1983年、日立建機は米国の大手農機メーカーであるジョン・ディア社と提携し、油圧ショベルのOEM供給を開始した。ディアの本業は農機であり、建機は多角化事業の位置づけにあったため、日立建機がOEMでショベルを供給しディアの販売網を通じて北米市場での販売量を確保した。1988年には貿易摩擦の回避を目的として合弁会社「ディア日立コンストラクションマシナリー」を設立し、米国内での現地生産を開始した。

欧州市場については、1986年にイタリアの大手自動車メーカー「フィアット社」と提携し、同社の建機ブランドに対して油圧ショベルを供給する体制を構築した。同年にオランダにフィアット・アリス社との合弁会社を設立し、欧州での現地生産を開始した。これにより日立建機は、日本を本拠として北米はディア、欧州はフィアットの販売網を活用する「日・米・欧の3極体制」を形成した。

ディア・フィアット両社との提携によるOEM供給は、日立建機の海外事業を短期間で拡大させた。2000年頃までに現地生産分を含む海外向けの販売高は1300億円に達し、1980年代初頭の輸出部門20億円規模から飛躍的な成長を遂げた。提携先の販路を活用したことで、自社で販売網を構築する場合に比べて投資負担を大幅に抑えた海外展開が実現した。

結果

OEM依存が生んだブランド不浸透と自力進出への戦略転換

OEMによる海外展開は量の拡大に寄与した一方で、構造的な限界も顕在化した。提携先の販売網を経由するため日立ブランドが最終顧客に浸透せず、価格決定力の確保が困難であった。加えて、OEM契約の性質上、保守・サービスといった川下事業への展開が制限され、製品販売後の継続的な収益機会を提携先に委ねる構造が固定化した。海外売上の規模は拡大しても、収益の質においてOEMの天井が意識されるようになった。

2000年代以降、日立建機は海外展開の基本方針をOEM依存から自力進出へと段階的に転換した。2001年にフィアットとの提携解消を決定して欧州での自社販売網構築に着手し、2021年にはディアとの北米での合弁提携も解消した。OEMで市場を知り、経営体力が整った段階で自社ブランドに切り替えるという二段階戦略は、海外に自力で参入する資源を持たなかった日立建機にとって合理的な選択であった。

ただし、OEMから自社販売への移行には提携先を通じた販売量の一時的な減少リスクがともなう。提携解消後に自社の販売網がどれだけ速やかに立ち上がるかが移行の成否を左右する構造であり、移行期間の設計と投資の規模・タイミングが戦略上の鍵となった。欧州ではこの移行に約2年の期間を設けて段階的に実行し、北米でのディアとの関係解消においては伊藤忠商事の参画による販路構築の加速が図られた。