重要な意思決定
19743月

足立工場を閉鎖・土浦工場に集約

背景

宅地化が進む足立工場の拡張限界と生産効率の課題

1970年の製販統合を経て発足した日立建機は、生産面において土浦工場(茨城県土浦市)と足立工場(東京都足立区大谷田)の2拠点体制で運営していた。しかし足立工場はJR常磐線亀有駅から約1kmの位置にあり、周囲の宅地化が進行する中で工場の増設・拡張の余地に乏しかった。油圧ショベルの需要拡大に対応するための増産体制の構築が求められる一方で、都心部に近い足立工場ではその対応が物理的に困難であった。

加えて、建機の製造は部品加工から組み立てまでの工程が多岐にわたり、2拠点に分散した生産体制では工程間の輸送コストや管理負担が発生していた。発足直後の赤字体質を脱却するためにも、生産拠点の集約による効率化が経営課題として認識されていた。土浦工場は52.8万平方メートルの広大な敷地を有しており、生産の集約先として適していた。

決断

足立工場の閉鎖と跡地売却益による土浦新工場への投資

1972年8月、日立建機は足立工場の閉鎖と生産の土浦工場への集約を発表した。1974年5月に約135億円を投じて土浦新工場を増設・合理化し、部品加工から組み立てまでの一貫生産体制を構築した。足立工場は1974年11月に閉鎖され、12万平方メートルの跡地は日本住宅公団に売却された。跡地は大谷田団地(全11棟)として再開発され、工場跡地の売却益が土浦新工場への投資資金に充当された。

足立工場の閉鎖と土浦工場への集約は、都心の工場用地を売却することで郊外の量産拠点への投資原資を確保するという、当時の製造業に共通する立地再編の手法であった。日立建機はこの生産集約により、油圧ショベルの増産に対応できる生産基盤を整備し、発足当初の2拠点分散体制から脱却した。