重要な意思決定
19654月

(旧)日立建機株式会社を設立

背景

建機販売における割賦取引の拡大と売掛債権の膨張

日立製作所の建機事業は、1950年代から全国展開を強化する過程で、販売形態に起因する財務上の課題に直面した。建設機械のユーザーは中小の建設業者が多く、高額な建機を一括購入する資金力に乏しかったため、割賦販売(分割払い)が事実上の標準的な取引形態となっていた。1962年から1964年にかけて日立製作所は「大阪・東京・九州・東北・中部・北海道」の6つの地域にそれぞれ販売会社を設立し、割賦販売を通じた全国展開を推進した。

しかし、割賦販売の拡大は売掛債権の累積を招いた。1970年10月時点で建機の新車販売の80%が割賦販売であり、日立建機は販売ごとに約2年間の売掛債権を保持する構造にあった。日立製作所の債務保証による金融機関からの借入額は累計134億円に達し、プライムレートに対して0.75〜1.25%高い金利水準での調達を余儀なくされた。PL面では金利負担が利益を圧迫し、BS面では自己資本比率の低下が進行した。

決断

販社統合と日立建機の設立による販売体制の一元化

販売会社の増設にともない、既存のアフターサービス会社「日立建設機械サービス」との業務重複が発生した。そこで日立製作所は1965年4月、日立建設機械サービスと全国6つの販売会社を統合し、日立建機株式会社を設立した。日立建機は日立製作所が株式の大半を保有する販売子会社として発足し、新車販売・中古販売・部品供給・アフターサービスを一体的に運営する体制を構築した。

ただし、1965年時点の日立建機は販売専業の会社であり、建機の製造は引き続き日立製作所の建設機械製造部が担当した。製造と販売が別法人で運営される体制は、迅速な意思決定や市場対応の面で制約があり、建機事業の競争力を高めるうえでの構造的な課題として残された。製販統合が実現するのは、1970年の日立建機の新生発足まで待つことになった。

結果

割賦販売を武器とした販売網の確立と財務体質の悪化

日立建機の設立により、全国にわたる販売・サービスの一元体制が整い、建機の販売台数は拡大基調を維持した。日立製作所の信用力を背景とした割賦販売は、資金力に乏しい中小建設業者にとって建機導入の障壁を下げる効果があり、販売面での競争優位として機能した。

一方で、割賦販売の拡大は日立建機の財務体質を構造的に悪化させた。売掛債権が総資産に占める比率は上昇を続け、借入金への依存度も高まった。販売を伸ばすほど債権が膨張し財務が悪化するという、製造業と金融業を兼ねることの構造的矛盾に日立建機は直面していた。この財務問題は、1970年の製販統合による新生日立建機の発足後もなお、経営上の重大な課題として持ち越されることとなった。