重要な意思決定
1964

小売店と再販契約を締結

背景

外資参入と流通構造の変化が迫った価格統制力確保の必要性

1960年代を通じて、花王は日用品業界の競争環境が質的に変化しつつある局面に置かれていた。資本自由化を背景とする外資企業の日本市場参入が現実味を帯びていた。とくにP&Gは欧州市場で現地メーカーを淘汰してきた実績を持ち、日本市場でも同様の展開が想定されていた。1971年度の売上規模を比較するとP&Gが1兆円を超える一方、花王は600億円台にとどまり、投下資本と持久力には大きな差が存在していた。

もうひとつの変化は流通側の交渉力上昇であった。1960年代後半にかけて、ダイエーに代表されるスーパーマーケットが急成長し、大量仕入れを武器に価格引き下げを要求するようになった。従来の問屋多層構造ではメーカーが最終売価を統制することが困難になりつつあり、価格決定権が流通側へ移行する兆しが見え始めていた。外資との競争と流通からの値下げ圧力が同時に進行するなかで、花王は広告投資や価格競争ではなく、流通構造そのものの再設計という選択肢に向かった。

決断

全国27万店との再販契約と問屋依存からの転換

こうした環境下で、当時副社長であった丸田芳郎は問屋依存からの転換を選択した。1964年、花王は全国約27万件の小売店と再販契約を締結し、各地の問屋を再編して販売会社へ集約する方針を打ち出した。一次問屋との取引を停止し、販社を起点として二次問屋や小売店へ直接配荷する流通経路を構築する判断であった。メーカーが流通の主導権を握ることで、売価の統制と販売情報の集約を同時に実現する設計であった。

この施策は既存問屋に対する明確な路線転換を意味し、強い反発を招いた。東京では「販社粉砕協議会」が結成され、競合のライオンを優遇する問屋も現れた。花王は1969年から1971年にかけて洗剤シェアで首位を失ったが、それでも短期的なシェア低下を受容し、流通集約による価格主導権の確保を優先した。問屋との軋轢と市場シェアの一時的な喪失は、販社体制構築の代償として織り込まれていた。

結果

オイルショック後に実証された価格維持力と販売情報の競争優位

販社網の整備は、1973年のオイルショック後にその効果を明確に示した。不況下で小売業が乱売に走るなかでも、花王は販社を通じて売価を統制し、利益率の維持に成功した。洗剤シェアは1970年代半ばに首位を奪還し、販社体制が収益構造の安定化に寄与する構図が確認された。流通を自社の統制下に置いた判断は、景気後退局面における価格防衛力という形で投資回収が実現された。

加えて、販社から日次で集約される販売データの活用が、花王の競争優位を情報面から補強した。コンピュータ導入による需給調整と製品開発速度の向上は、流通と情報を一体で運営する体制として結実した。この仕組みは日本市場におけるP&Gのシェア拡大を抑制する構造的な要因として機能した。販社改革は、売価統制と情報獲得という二つの競争優位を同時に構築した判断であり、花王の経営史における最も重要な意思決定のひとつに位置づけられる。