ビデオテープ事業の商業化断念
That'sブランドの成功とビデオテープ市場への参入
太陽誘電は1982年からThat'sブランドでオーディオテープを手がけ、高品質テープとして一定の知名度を確立していた。オーディオテープの素材はセラミックコンデンサの材料と共通性があり、ビデオテープへの展開は「自然な流れ」(安藤顕常務)であった。開発は1983年頃から本格化し、オーディオテープと同様に技術力を差別化の武器とする高品質・高価格戦略でビデオテープ市場への参入を計画していた。
参入のターゲットはS-VHSテープであった。S-VHS対応デッキの普及率が全体の30%程度に達した時点でテープ市場に参入すれば、高品質帯で差別化が可能と見込んでいた。しかしS-VHSデッキの普及は想定より遅れ、さらにS-VHSデッキの所有者の多くがHG(ハイグレード)テープで日常の録画を済ませてしまうという消費行動が判明した。「デッキは十分普及したにもかかわらず、テープは伸び悩んでいる」と安藤常務は語っている。S-VHSテープの市場規模は想定を大きく下回った。
さらに深刻だったのは価格下落の速度であった。ビデオテープ全体の価格は1986年頃から急激に崩れ始め、4年間で約5割下落した。オーディオテープの3割強に対して大幅な下落であった。ノーマルテープの値崩れがHGやS-VHSテープにも波及し、高品質帯で差別化するという戦略の前提が崩壊した。大手テープメーカーのTDKやソニーが減価償却を終えた工場をフル回転させてシェアを争う「体力勝負の戦場」に、後発の太陽誘電が参入する余地は狭まっていた。
試験販売段階での事業化断念と2段階スクリーニング
1988年12月に製造・販売を開始したビデオテープについて、太陽誘電は本格的な商業化を断念すると発表した。安藤常務は「撤退というよりは、事業化を断念した、という判断」と説明している。年間売上高は1億円足らず、本数は年10万巻にも満たず、ディーラーも2、3社に限定した試験販売の段階であった。HGテープは「いずれS-VHSを出すための市場への名刺」という位置づけに過ぎなかった。
この判断は、太陽誘電が事業化プロセスに組み込んでいた「2段階スクリーニング」に基づくものであった。第1段階が社内での開発研究、第2段階が試作販売の成否である。安藤常務は「経営学で一般的に知られているプロセスを踏んでやっています。オーソドックスに過ぎると思われるかもしれませんが、これは大切なこと」と語っている。ビデオテープは第2段階の試作販売で商業化の見込みが立たないと判断され、本格参入に進まずに中止となった。
特別損失は15億円であった。内訳は生産装置の廃棄が10億円、仕掛かり製品の棚卸しと研究関係費用が5億円である。生産装置のうちオーディオテープと共通の上流設備は今後も使用可能であり、廃棄対象はパッケージング等の専用設備に限られた。安藤常務は「10億円という数字は、当社の年間設備投資額の約10分の1。ハイテク志向の新製品をどんどん開発する企業にとっては、スクリーニングをかける過程で生じる、当然の、やむを得ないコスト」と位置づけた。
主力の電子部品事業への影響を最小限に抑制
ビデオテープ事業の断念による15億円の特別損失は、太陽誘電の財務に決定的な打撃を与えなかった。同社の売上高に占めるビデオテープの割合はごく僅かであり、年間設備投資額の10分の1にあたる10億円の装置廃棄も、電子部品事業の投資計画に影響を及ぼさなかった。安藤常務は「傷口を広げないうちに、というよりは、傷口を作らないで済んだ」と総括している。試験販売の段階で判断を下したことが、損失の規模を限定的にとどめた。
太陽誘電のビデオテープ撤退を報じた日経ビジネスは、「ゴーサインを出したこと自体が、余りにも甘い判断ではなかったか」と指摘している。大手テープメーカーの関係者も事前に「おやめなさい」と助言していた。ビデオテープ市場は「完全な雑貨品。これほど差別化が難しいものはない」(大手メーカー)とされ、太陽誘電の技術志向型の差別化戦略が通用する市場ではなかった。参入判断の妥当性には疑問が残るが、撤退判断の迅速さが損失を限定的に抑えた。
この経験は、太陽誘電に「消費財市場では技術力だけでは差別化できない」という認識を残した。安藤常務自身が「技術力で差をつけて市場に地歩をと計画したけれど、この分野は最終的には、使う人の感覚とか、生活の文化とかが入りますからね」と認めている。電子部品では技術スペックがそのまま商品価値になるが、消費財ではそうならない。この認識は、太陽誘電が記録メディア事業をあくまで副次的な位置づけとし、電子部品を主力とし続けた判断の底流にある。