磁器コンデンサ専業メーカーとしての創業
戦後電子部品産業の萌芽と誘電体研究者の起業
太陽誘電が設立された1950年は、戦後日本の電子部品産業が本格的に立ち上がろうとする時期であった。GHQの民間放送許可を前にラジオ需要が急拡大し、コンデンサや抵抗器、フェライトコアといった受動部品への需要が増加していた。同時期に村田製作所(1944年創業)やTDK(1935年創業)など、後に太陽誘電の競合となる企業も磁器コンデンサやフェライトの量産体制を構築しつつあった。電子部品メーカーの多くは半導体を含む幅広い製品を手がける方向に向かいつつあり、受動部品のみに特化する企業は少数派であった。
創業者の佐藤彦八は誘電体セラミックスの研究者であった。1943年に前身となる東京電気化学工業株式会社を設立し、磁器コンデンサとステアタイト磁器絶縁体の研究・製造を行っていた。戦後の混乱期を経て1950年3月23日、東京都杉並区に太陽誘電株式会社を設立。社名は佐藤が研究していた「誘電体」に「太陽」を冠したもので、「明るくて温かみのある、世の中を照らすような会社にしたい」という願いが込められている。研究者としての専門性が、そのまま事業の出発点となった。
受動部品への専業化と半導体不参入の方針決定
佐藤は太陽誘電を磁器コンデンサの専業メーカーとして位置づけ、能動部品(半導体)には一切参入しないという方針を明確にした。1972年の証券アナリスト向け講演では「当社は半導体関係はタッチしておりません。もっぱら受動部品に徹しており」と語っている。当時の電子部品メーカーにとって半導体は成長分野であり、多くの企業が能動・受動の両方を手がける多角化を志向していた。佐藤はこれに背を向け、セラミックスという素材の技術的深掘りに経営資源を集中する選択を取った。
この方針の下で、佐藤は研究開発に対する投資を重視した。全社員約1,150人のうち研究部門に約125人(約11%)を配置し、「会社経営の考え方として研究部門にかなりの人員を配置してきた」と自ら語っている。1972年時点で3年間約40億円の設備投資計画を策定していた。「素材の開発から出発して製品化を行う」ことを信条とし、材料の粒子レベルからの自社開発を経営の根幹に据えた。セラミックコンデンサの月産は4,000万個に達し、フェライト、フィルター等への製品展開も進めていたが、いずれも受動部品の範囲にとどまっていた。
国内シェア首位と受動部品専業の企業像確立
上場時(1970年3月、東証第二部)の時点で、太陽誘電の固定磁器コンデンサ国内シェアは約20%に達し、業界トップの位置にあった。売上構成比はコンデンサが61%、フェライトが14%、インダクタが8%と、受動部品が売上の93%を占めていた。カラーテレビの急速な普及を追い風にセラミックコンデンサを中心に毎期増収を記録し、1969年8月期の売上高は約50億円に達していた。1973年には東証第一部に指定されている。
佐藤が定めた「受動部品専業」「半導体不参入」「素材からの開発」という3つの原則は、その後の歴代社長にも引き継がれた。佐藤は1984年に社長を退任し、非同族の川田貢が後任に就いたが、受動部品専業の方針は変わらなかった。75年以上を経た現在も太陽誘電は半導体を手がけておらず、コンデンサとインダクタを二本柱とする受動部品メーカーであり続けている。創業時の方針決定が、企業のアイデンティティを不可逆的に規定した。