油圧ショベルの製造に参入
油圧技術の進歩による建機市場の需要構造の変化と後発参入
1960年代を通じて油圧機器の技術革新が進み、建設機械の主力製品がブルドーザーから油圧ショベルへと移行する市場構造の変化が進行していた。1950年代から1960年代にかけては道路新設やダム建設といった大規模土木工事が需要の中心であり、整地作業に適したブルドーザーが建機市場の主役を占めていた。しかし1970年代以降は下水道敷設や道路改修など社会インフラの改良・維持管理に関する工事が増加し、掘削能力に優れた油圧ショベルへの需要が急速に高まりつつあった。
油圧ショベル市場では、キャタピラー三菱や日立建機といった先発メーカーが既に製品を投入して市場の開拓を進めており、後発企業にとっては参入障壁が存在していた。コマツはブルドーザーで国内シェア60%超を確保していたものの、油圧ショベルの分野では後発の立場にあった。建機市場の需要構造がブルドーザーからショベルへと移行する中で、油圧ショベルにおけるシェアを確保できるか否かが、建機業界におけるコマツの中長期的な競争力を左右する重要な経営課題として認識されていた。
米ビサイラス・エリー社との技術提携と油圧ショベル量産
油圧ショベルへの参入にあたり、コマツは米ビサイラス・エリー社と技術提携を実施した。同社の油圧ショベル技術を基盤として、日本の建設現場における土質や作業条件に適合するよう改良を加えた製品の開発に着手した。1968年5月に油圧ショベル「15-H」の生産を開始し、ブルドーザーの販売で構築した全国の直販網を通じて市場に投入した。先発のキャタピラー三菱と日立建機を追う形でのスタートとなり、参入初年度の1969年時点における国内シェアは第3位の14%にとどまった。
コマツが油圧ショベルで国内シェアを大きく伸長させる転機となったのは、1972年に開発・投入した改良型の「15HT-2」であった。従来製品と比較して耐久性を大幅に向上させたことで、建設現場からの引き合いが増加した。コマツの販売拠点数は国内650カ所に達しており、キャタピラー三菱の200カ所、日立建機の350カ所を大きく上回っていた。ブルドーザーと油圧ショベルの顧客層が重複していたことから、既存の直販網がそのまま油圧ショベルの拡販に有効に機能した。
油圧ショベル国内シェア首位の獲得と総合建機メーカー化
1976年にコマツは油圧ショベルの国内シェアで首位を獲得した。先発メーカーに対して約10年遅れでの参入であったにもかかわらず、ビサイラス・エリー社との技術提携による製品開発力と、ブルドーザーの販売で培った全国650カ所の直販網の活用が奏功した形であった。特に耐久性を向上させた「15HT-2」の投入以降はシェアの拡大が加速し、1979年には国内シェア21%、1987年には32%に到達した。油圧ショベルはブルドーザーに次ぐコマツの主力製品として定着した。
油圧ショベルでの国内首位の獲得により、コマツはブルドーザーと油圧ショベルの両製品群で国内トップシェアを持つ唯一の建機メーカーとなった。建設現場では同一メーカーからの一括調達がメンテナンスや部品調達の面で合理的であり、2製品での首位は相互に販売を補強する構造を生んだ。この事業基盤を土台として、コマツは1980年代以降の海外展開と製品ラインナップの拡充を進め、キャタピラー社に次ぐ世界第2位の建設機械メーカーへと規模を拡大していった。