全社的品質管理を推進
資本自由化によるキャタピラー社の日本市場への進出
1960年に日本政府は「資本自由化大綱」を公表し、外資企業が日本市場に参入できるよう産業別に段階的な規制緩和を進める方針を明示した。戦後の日本政府は国内企業の育成・保護を目的として欧米企業の日本進出を政策的に制限しており、外資との関係は技術提携などに限定されていた。資本自由化大綱は外資企業が日本法人を設立して直接的に参入する道筋を示すものであり、日本企業がグローバル競争にさらされることを意味した。産業界の経営者の間では危機感が急速に広がった。
資本自由化を受けて、建設機械の世界最大手である米キャタピラー社が日本進出を決定した。1961年頃にキャタピラー経営陣が来日し、新三菱重工業と折半出資で合弁会社を設立する方針を示した。1963年にキャタピラー三菱が設立され、1965年には「CAT D4Dブルドーザ国産第1号機」を投入した。キャタピラー社と三菱重工はともに巨大資本を擁しており、三菱重工の資本力と組み合わせた競争力はコマツにとって重大な脅威であった。加えて、当時はコマツのブルドーザーの耐久時間がキャタピラー車の約半分とされていた。
品質改善を軸としたマルA対策の立案とカミンズ提携の決断
コマツの河合良成社長は、キャタピラー三菱の設立認可に対して通産省に抗議を申し入れ、建機業界における資本自由化の延期を求めた。しかし通産省は「個々の会社の利害よりも日本全体の利益を優先する」との立場を崩さず、キャタピラーの日本進出を合弁方式で許可した。河合社長は政治的な阻止が困難であると判断し、対抗策の論点を「品質改善」に絞る方針を決定した。国内トップの販売網と生産体制は既に整備されているため、品質のみが防衛の鍵になると判断したためであった。
品質改善策として、全社的品質管理(QC)の導入と「マルA対策」を実施した。品質対策室は8つの調査項目を設定し、過去1年間のクレーム内容の検討、自社製品と競合品のオーバーホール実績調査、全国の作業現場への技術者派遣による使用状況調査などを実施した。調査の結果、部品4000点のうち80%にあたる3200点に課題を発見した。並行して1961年に米カミンズ社とディーゼルエンジンの技術提携を締結し、社内の反対を押し切って高性能エンジンの導入にも踏み切った。
ブルドーザー国内シェア60〜65%の維持と2社寡占の形成
1963年9月にマルA対策を反映したブルドーザー「D50A」の市販を開始した。特殊鋼に関する課題を中心に部品レベルから品質を改善した結果、クレーム発生数は従来製品の5分の1に減少した。品質改善と並行して既存工場への設備投資も積極化しており、1960年から1964年にかけて120億円、1969年から1970年にかけて500億円の設備投資を実施した。ブルドーザーの機種ごとに特定工場で生産を特化させることで、品質と生産効率の両立を図る体制を構築した。
1960年代から1970年代にかけて、コマツはブルドーザーの国内販売においてシェア60〜65%を維持した。競合のキャタピラー三菱のシェアは30%前後で推移し、合弁設立以前に三菱が保有していた水準と同程度にとどまった。3位以下の日特金属や日立製作所はシェアを低下させる結果となり、コマツとキャタピラー三菱による2社寡占の構造が形成された。マルA対策を起点とする品質改善の取り組みは、コマツが国内建機市場における首位を堅持するための基盤となった。