第二五七一号(4)決断社史 一九九〇年代令和八年十月三日(土曜日) 発行所 The社史

日本企業の決断 一九九〇年代

一九九〇〜九九年

第二八五号

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1999年(平成11年)

選択と集中とリストラが年を覆い、日産自動車はリバイバルプランを断行してルノーと資本提携した。NECは1万5,000人を削減し、三菱ケミカルGは四日市のエチレン設備を止めた。兼松の総合商社からの撤退など、祖業そのものを改める重い決断も見られた。

1998年(平成10年)

リストラと選択と集中が重なり、三菱電機や沖電気工業はDRAM事業から相次いで退いた。花王のフロッピー撤退、日東紡績の綿紡績終了など、祖業や主力事業を手放す動きが続いた。一方でZOZOやタマホームが創業し、オリックスはニューヨーク証券取引所へ上場した。

1997年(平成9年)

不祥事とそれに伴う経営陣の交代が相次いだ年である。総会屋事件で野村HDや三菱自動車のトップが退き、第一勧業銀行では総会屋への融資の隠蔽が発覚した。山一證券は自主廃業し、ヤオハンや三洋証券は更生法を申請して、大手の経営破綻が現実のものとなった。

1996年(平成8年)

主力事業の隣へ広げる動きと大型投資が並び、オリエンタルランドは東京ディズニーシーの建設を決めた。マツキヨの薬粧専門への転換や1皿100円均一の開始など、収益の型を変える試みも出た。王子HDや三菱UFJFGの合併、長谷工の不良資産処理も重なった。

1995年(平成7年)

リストラと構造改革が中心で、ツムラは多角化した子会社を整理し、住友銀行は不良債権を償却した。キヤノンのキャッシュフロー重視、テルモの企業風土改革など経営の型を改める例が多い。北海道炭礦汽船は更生法を申請し、イオンは大型SCの開発へ踏み出した。

1994年(平成6年)

選択と集中と構造改革が並び、ニデックはHDDモータへ、イビデンはインテル攻略へ資源を集めた。日本マクドナルドのハンバーガー価格破壊のように低価格で攻める動きが出て、ニトリや東洋水産は海外で生産を始めた。ソニーはPlayStationに参入した。

1993年(平成5年)

リストラと経営再建の色が濃く、日本ビクターや日本アイ・ビー・エムは無配や赤字を受けて人員を見直した。いすゞ自動車は乗用車から撤退し、日活は更生法を申請した。一方でJSRのフォトレジストや第一製薬のクラビットなど、技術で勝負に出る社もあった。

1992年(平成4年)

構造改革と事業の絞り込みが多く、ハウス食品G本社はチルド食品から、ディスコは拡散炉から手を引いた。すかいらーくHDは全店を「ガスト」へ転換し、主力業態を改める決断も現れた。ジャパンエナジーの合併と分離や、SGHDの事件による退場も重なった。

1991年(平成3年)

大型の設備投資と不祥事が並んだ年だ。東京製鐵は熱延帯鋼へ参入し、東ソーはエチレンを増設した。他方、野村HDは損失補填で、日本航空電子工業は不正輸出で揺れ、山一證券は含み損を簿外へ移した。セブンイレブン・ジャパンやTOTOは米国へ踏み出した。

1990年(平成2年)

海外企業の買収が最も多く、富士通は英ICLを、パナソニックは米MCAを傘下に収めた。三菱レイヨンやアンリツも欧米企業を買い、海外への展開が広がった。キリンHDの「一番搾り」投入などのブランド戦略や、サンリオピューロランドのような飛び地への多角化も見られた。

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