第二五七一号(5)決断社史 一九八〇年代令和八年十月三日(土曜日) 発行所 The社史

日本企業の決断 一九八〇年代

一九八〇〜八九年

第一八七号

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1989年(平成元年)

主力事業の見直しと大型投資が並んだ。ソニーのコロンビア映画買収や日本ゼオンの英BPケミカルズ特殊ゴム買収など、海外の大型取得が目立つ。ブラザー工業のプリンターへの転換、ニチレイの3PLへの転換、日亜化学工業の青色LED開発着手と、事業の軸を移す決断も続いた。

1988年(昭和63年)

ブリヂストンの米ファイアストン買収、ロート製薬の米メンソレータム買収と、海外企業の取り込みが進んだ。三越のゴルフ場開発や三菱地所の「丸の内マンハッタン化計画」など大きな投資も相次ぐ。片倉工業の蚕糸撤退、NTTデータGのNTTからの分社独立のように、主力の切り替えや独立も目立った。

1987年(昭和62年)

アサヒGHDの「スーパードライ」発売に象徴されるように、ブランドで勝負に出る決断が目を引く。丸紅の「強い商社」への再生、IHIの造船依存からの転換、住友重機械工業の希望退職など、立て直しを迫られた企業も多い。第二電電の関西セルラー電話設立といった隣接領域への展開も続いた。

1986年(昭和61年)

海外への進出と取得がこの年の軸となった。トヨタ自動車のケンタッキー工場建設、DICの米サン・ケミカル部門買収、関西ペイントの印Nerolac子会社化が並ぶ。国内では中部電力の碧南火力発電所新設や森ビルのアークヒルズ竣工など、大型の設備投資も重なった。

1985年(昭和60年)

技術を起点にした勝負が目立った年である。旭化成のリチウムイオン電池確立、ミノルタのα-7000発売、三菱瓦斯化学のBT樹脂による機能化学品への転換が並ぶ。JTの株式会社化や国鉄の分割民営化、カネカや藤沢薬品工業の事業譲渡など、体制や事業の組み替えも進んだ。

1984年(昭和59年)

本業の隣へ踏み出す決断が多かった。京セラの第二電電設立、ニコンのステッパー参入、ポーラ・オルビスHDのオルビス設立が並ぶ。大日本製糖や明治製糖の営業譲渡のような撤退もあり、日産自動車の英国進出やトヨタ自動車のNUMMI設立と、海外生産も動いた。

1983年(昭和58年)

技術や新しい仕組みで勝負に出た年である。任天堂のファミコン発売、アスキーのMSX規格提唱、DCMHDのIBMシステム38導入が並ぶ。オリエンタルランドは東京ディズニーランドを開業し、神戸製鋼所は米ミドレックス社を買収した。一方でヤマハ発動機はHY戦争に敗れた。

1982年(昭和57年)

既存の技術や販路を生かし、隣接領域へ広げる決断が多く並んだ。日本通信建設の光ファイバー参入、ナカニシの工業用切削機器参入、ヨネックスのゴルフ事業進出がその例である。アサヒGHDで村井勉氏が社長に就くなど、外部の人材に経営を託す動きも見られた。

1981年(昭和56年)

技術を軸に主力事業を組み替える決断が中心だった。TOTOは住設機器総合へ、FUJIはCP-1で実装機へ転じ、久光製薬はサロンパスに資源を集めた。ヤマトHDの宅急便による郵便小包への対抗や伊藤園の缶入り化など、新しい売り方で市場を開く動きも見られた。

1980年(昭和55年)

技術への投資と多角化が並んだ年である。フジクラの光ファイバ技術への投資、パイオニアのLDプレーヤー発表、富士通のIBM互換による国内首位がその例だ。旭化成は石油依存の収益構造からの脱却を図り、カルビーは原料を内製化した。吉野家HDは会社更生法を申請した。

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