第二五七一号(5)決断社史 一九八〇年代令和八年十月三日(土曜日) 発行所 The社史
日本企業の決断 一九八〇年代
一九八〇〜八九年
第一八七号
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1989年(平成元年)
主力事業の見直しと大型投資が並んだ。ソニーのコロンビア映画買収や日本ゼオンの英BPケミカルズ特殊ゴム買収など、海外の大型取得が目立つ。ブラザー工業のプリンターへの転換、ニチレイの3PLへの転換、日亜化学工業の青色LED開発着手と、事業の軸を移す決断も続いた。
- 11月THK株式の店頭公開
- 10月ライオン「ペンタデカン」ねつ造事件
- 10月山水電気英ポリーペックへ株式譲渡
- 09月マツダ5チャネル体制の破綻
- 07月三菱樹脂三菱商事と共同出資会社設立
- 06月大林組大林芳郎氏の社長退任と津室隆夫氏への継承
- 06月小糸製作所ピケンズの株式大量取得
- 06月良品計画西友からの分社独立
- 05月キーエンス自動線材切断機を譲渡
- 05月鉄道通信(旧)日本テレコムの吸収合併
1988年(昭和63年)
ブリヂストンの米ファイアストン買収、ロート製薬の米メンソレータム買収と、海外企業の取り込みが進んだ。三越のゴルフ場開発や三菱地所の「丸の内マンハッタン化計画」など大きな投資も相次ぐ。片倉工業の蚕糸撤退、NTTデータGのNTTからの分社独立のように、主力の切り替えや独立も目立った。
- 12月サッポロビールアサヒ「スーパードライ」に対抗
- 12月日本移動通信NTT大容量方式の採用
- 10月阪急阪神HD球団をオリエント・リースへ譲渡
- 09月太陽誘電CD-Rの世界初商品化
- 09月岡村製作所JTとの合弁設立
- 07月長谷工コーポレーション京都ブライトンホテル開業
- 07月ロート製薬米メンソレータムの買収
- 06月日産化学工業ポリエチレンなど3事業の譲渡
- 06月日立建機ディーア・フィアットと提携
- 05月エヌ・ティ・ティ・データ通信NTTからの分社独立
1987年(昭和62年)
アサヒGHDの「スーパードライ」発売に象徴されるように、ブランドで勝負に出る決断が目を引く。丸紅の「強い商社」への再生、IHIの造船依存からの転換、住友重機械工業の希望退職など、立て直しを迫られた企業も多い。第二電電の関西セルラー電話設立といった隣接領域への展開も続いた。
- 12月SMC東証二部での株式公開
- 11月日東電気工業米ハイドロノーティクス買収
- 10月象印マホービンサクセス90の発売
- 10月コニカ(旧・小西六写真工業)コニカへの商号変更
- 09月タカタ愛知川製造所でエアバッグ量産
- 07月荏原製作所藤沢工場で真空ポンプ生産
- 07月千曲不動産千曲不動産からの商号変更
- 07月TKC会計事務所と自治体への集中
- 06月第二電電関西セルラー電話を設立
- 04月九州旅客鉄道経営安定基金3877億円で発足
1986年(昭和61年)
海外への進出と取得がこの年の軸となった。トヨタ自動車のケンタッキー工場建設、DICの米サン・ケミカル部門買収、関西ペイントの印Nerolac子会社化が並ぶ。国内では中部電力の碧南火力発電所新設や森ビルのアークヒルズ竣工など、大型の設備投資も重なった。
1985年(昭和60年)
技術を起点にした勝負が目立った年である。旭化成のリチウムイオン電池確立、ミノルタのα-7000発売、三菱瓦斯化学のBT樹脂による機能化学品への転換が並ぶ。JTの株式会社化や国鉄の分割民営化、カネカや藤沢薬品工業の事業譲渡など、体制や事業の組み替えも進んだ。
- 12月上村工業プラザ合意後の10か国展開
- 12月加賀電子東証二部への株式上場
- 11月富士通脱IBM路線での多角化
- 11月モスフードサービス吉野祥の急死後に株式公開
- 10月三井石油化学工業浮島集約と超石化転換
- 08月鐘淵化学工業フォンテーヌをアデランスへ譲渡
- 07月日本国有鉄道分割民営化でJRへ移行
- 05月藤沢薬品工業ピコレットなどライオンへ譲渡
- 04月日本たばこ産業専売公社の株式会社化
- 04月住友セメント非セメント事業に多角化
1984年(昭和59年)
本業の隣へ踏み出す決断が多かった。京セラの第二電電設立、ニコンのステッパー参入、ポーラ・オルビスHDのオルビス設立が並ぶ。大日本製糖や明治製糖の営業譲渡のような撤退もあり、日産自動車の英国進出やトヨタ自動車のNUMMI設立と、海外生産も動いた。
1983年(昭和58年)
技術や新しい仕組みで勝負に出た年である。任天堂のファミコン発売、アスキーのMSX規格提唱、DCMHDのIBMシステム38導入が並ぶ。オリエンタルランドは東京ディズニーランドを開業し、神戸製鋼所は米ミドレックス社を買収した。一方でヤマハ発動機はHY戦争に敗れた。
1982年(昭和57年)
既存の技術や販路を生かし、隣接領域へ広げる決断が多く並んだ。日本通信建設の光ファイバー参入、ナカニシの工業用切削機器参入、ヨネックスのゴルフ事業進出がその例である。アサヒGHDで村井勉氏が社長に就くなど、外部の人材に経営を託す動きも見られた。
1981年(昭和56年)
技術を軸に主力事業を組み替える決断が中心だった。TOTOは住設機器総合へ、FUJIはCP-1で実装機へ転じ、久光製薬はサロンパスに資源を集めた。ヤマトHDの宅急便による郵便小包への対抗や伊藤園の缶入り化など、新しい売り方で市場を開く動きも見られた。
1980年(昭和55年)
技術への投資と多角化が並んだ年である。フジクラの光ファイバ技術への投資、パイオニアのLDプレーヤー発表、富士通のIBM互換による国内首位がその例だ。旭化成は石油依存の収益構造からの脱却を図り、カルビーは原料を内製化した。吉野家HDは会社更生法を申請した。
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