第二五七一号(6)決断社史 一九七〇年代令和八年十月三日(土曜日) 発行所 The社史

日本企業の決断 一九七〇年代

一九七〇〜七九年

第一七〇号

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1979年(昭和54年)

外からの危機への対応が目立った。マツダは住友銀行主導で再建に入り、京成電鉄は石油ショック後の経営危機に陥った。日東紡績は特化作戦で事業を絞り込んだ。大王製紙の家庭紙参入やオリエンタルランドのディズニー独占ライセンス契約など、新たな布石も打たれた。

1978年(昭和53年)

不況下の構造改革と、先を見据えた設備投資が同居した年だ。帝人は合繊不況下で人員を削減し、東京製鐵は江戸川工場を閉じて電炉化を進めた。花王の九州工場の無人化投資やホンダのHAMによる北米現地生産も動き、鹿島建設のTQC導入など組織の見直しも続いた。

1977年(昭和52年)

外的な危機への対応がこの年の基調だった。ニチロとマルハは北洋漁業の縮小や二百カイリを受けて事業を転換し、伊藤忠商事は安宅産業を救済合併した。森永乳業のビヒダス発売、サッポロビールの生ビール全国発売のように、ブランドで市場に挑む決断もみられた。

1976年(昭和51年)

本業の周辺へ踏み出す決断が多かった。東急不動産HDの東急ハンズ設立、リクルートHDの「住宅情報」創刊、KADOKAWAの映画参入が並ぶ。ヤマトHDの宅急便創業やシチズン時計のムーブメント外販のように、稼ぎ方そのものを変える試みも目立ち、日本ビクターはVHSで世界標準を握った。

1975年(昭和50年)

主力事業の転換と危機への対応が重なった。ユニチカは3工場を閉鎖し、サイゼリヤは全品半額でイタリア料理へ転じた。ディスコのダイシングソーやSCREEN HDのウエハー腐食機など、自社開発の技術で次の柱を立てる動きもあった。大阪ガスはブルネイLNGを導入した。

1974年(昭和49年)

危機への対応と新しい柱づくりが並行した。日本光電工業の危機突破2-4作戦や北海道電力の石油火力構想撤回の一方、ホンダのCVCCエンジン、ファナックの産業用ロボット参入と技術での勝負も続く。セブン&アイHDはセブンイレブンを創業し、サンリオではハローキティが生まれた。

1973年(昭和48年)

祖業から離れる決断が目立った。古河機械金属は足尾銅山を閉山し、三井松島HDは石炭部門を譲渡、片倉工業はショッピングプラザを開業した。シャープの液晶電卓発売など技術での勝負に加え、キッコーマンの米国工場建設や船井電機の生産移転と、海外生産へ向かう動きも見られた。

1972年(昭和47年)

技術と価格で市場を取りにいく決断が並んだ。カシオ計算機の「カシオミニ」、秩父セメントのSF式焼成法が技術の例で、ダイエーの価格破壊やイトーヨーカ堂の低コスト出店が価格の例だ。キリンHDのキリンシーグラム設立や旭化成の「ヘーベル」による住宅参入など、隣接領域への展開も続いた。

1971年(昭和46年)

大型の設備投資と合併が重なった年である。東京電力HDの福島第一原発建設や新日本石油の喜入原油中継基地が投資の側に、第一勧業銀行の発足やユニーの合併が統合の側に並ぶ。日清食品HDのカップヌードル発売や積水化学工業のセキスイハイムによる住宅参入もこの年だった。

1970年(昭和45年)

大型の合併と新事業への進出が並んだ。日本製鉄は八幡と富士の合併で発足し、イオンは5社合併でジャスコとなった。すかいらーくHDの1号店開業、象印マホービンの電子ジャー発売、神戸製鋼所の加古川製鉄所新設など、新しい事業や設備への投資も重なった。

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