エイチ・アイ・エス:インターナショナルツアーズの設立
1980年〜西ドイツ留学帰りの澤田秀雄氏が新宿で始めた格安航空券と、バンコク経由10万円のインド便
澤田秀雄氏は1980年12月、東京・新宿に旅行会社インターナショナルツアーズを設立し、社長に就任した。当初の陣容は夫婦2人の社員と、机2つ・電話1本である。澤田秀雄氏は1973年から1976年まで旧西ドイツのマインツ大学に留学し、在学中の旅行先は50カ国を超えた。1976年の帰国後に最初に手がけた毛皮の輸入販売は、ワシントン条約で輸入が厳しくなり断念に追い込まれた。次に選んだ航空券では、欧米なら安く買える券を日本人だけが高く買う内外価格差を事業の機会と見定めた。高い航空券のために若い世代が海外を知る機会を失う状況への問題意識も、起業の動機の1つである。留学中の旅で価格差を自ら体験したことが、商材を航空券に絞る判断の起点になったとみられる。
- 日経ビジネス 1998年4月13日号 p84-86〔フォーカスひと〕
- [1]1980年に東京・新宿で机2つ・電話1本・社員は夫婦2人の旅行会社として設立
- [2]1980年に東京・新宿で机2つ・電話1本・社員は夫婦2人の旅行会社として設立
- 日経ビジネス 1995年4月10日号 p66-69 編集長インタビュー
- [3]1973〜76年に旧西独マインツ大学経済学部に留学し50カ国以上を旅行。航空券の内外価格差が大きく日本人だけが高く買うのはおかしい、高いと若い人の機会が失われると考えた
- [5]1973〜76年に旧西独マインツ大学経済学部に留学し50カ国以上を旅行。航空券の内外価格差が大きく日本人だけが高く買うのはおかしい、高いと若い人の機会が失われると考えた
- [7]1973〜76年に旧西独マインツ大学経済学部に留学し50カ国以上を旅行。航空券の内外価格差が大きく日本人だけが高く買うのはおかしい、高いと若い人の機会が失われると考えた
- ドリームゲート起業家インタビュー 第31回 2006年12月「株式会社エイチ・アイ・エス 澤田秀雄」
- [4]1976年帰国後に内外価格差に着目し毛皮の輸入販売を始めたがワシントン条約で断念。次に格安航空券販売を構想し1980年12月にインターナショナルツアーズ設立
- [6]1976年帰国後に内外価格差に着目し毛皮の輸入販売を始めたがワシントン条約で断念。次に格安航空券販売を構想し1980年12月にインターナショナルツアーズ設立
インターナショナルツアーズは、団体向けの割安な認可運賃で出る航空券を個人客へ1枚ずつ売る格安航空券の販売に事業を集中した。利用条件に制約が多く払い戻しも利かない券で、大手旅行会社が扱おうとしない分野だった。国内外の大手航空会社には直接の取引を断られ、仕入れはホールセラーと日本で知名度の低い航空会社から少しずつ始めた。券を店頭で渡さず空港で受け取る売り方は疑われやすく、客は半額で渡航した利用者の口コミで増えた。年商は設立1期目の1981年に約3億円、1989年には約164億円まで拡大した。大手が手を出さない券に絞ったことで、価格に敏感な若い個人旅行者を競合なしに取り込めたと考えられる。
- 日経ビジネス 1998年4月13日号 p84-86〔フォーカスひと〕
- [8]当時の格安航空券は団体用に安く認可された運賃の航空券を個人売りする手法。利用上の制約があり払い戻し不可で大手業者が見向きもしない分野
- [9]当時の格安航空券は団体用に安く認可された運賃の航空券を個人売りする手法。利用上の制約があり払い戻し不可で大手業者が見向きもしない分野
- ドリームゲート起業家インタビュー 第31回 2006年12月「株式会社エイチ・アイ・エス 澤田秀雄」
- [10]大手航空会社に取引を断られホールセラーとマイナーな航空会社から仕入れ。空港渡しで怪しまれたが口コミで客が増加。1981年年商約3億円、1989年約164億円
- [11]大手航空会社に取引を断られホールセラーとマイナーな航空会社から仕入れ。空港渡しで怪しまれたが口コミで客が増加。1981年年商約3億円、1989年約164億円
- [12]大手航空会社に取引を断られホールセラーとマイナーな航空会社から仕入れ。空港渡しで怪しまれたが口コミで客が増加。1981年年商約3億円、1989年約164億円
インターナショナルツアーズは1980年代後半のインド旅行の流行に合わせ、バンコク経由のインド行き航空券を10万円前後で売り出した。インドへの直行便は東京発では日本航空とインド航空に限られ、往復は安くても17万〜18万円かかった。バンコクでタイ航空などの割安な便へ乗り継ぎ、カルカッタまでの運賃を10万円前後に収める経路の採用。経路は澤田秀雄氏自身のインド旅行の経験をもとに組み、中国へも査証の取りやすい香港経由のツアーを10万円以下で用意した。粗利益率は一般の旅行代理店の10%程度に対し、こうした独自商品では30%を見込めた。安さと利幅を経路の工夫で両立させ、営業網を東京・大阪・札幌・福岡へ広げた。
- 日経ビジネス 1991年5月20日号 p49
- [13]東京-インド直行便は日航とインド航空のみで往復17万〜18万円。バンコク経由でカルカッタまで10万円前後の券を販売。香港経由の中国ツアーも10万円以下。粗利益率は一般10%程度に対し独自商品30%。営業網は東京・大阪・札幌・福岡など全国
- [14]東京-インド直行便は日航とインド航空のみで往復17万〜18万円。バンコク経由でカルカッタまで10万円前後の券を販売。香港経由の中国ツアーも10万円以下。粗利益率は一般10%程度に対し独自商品30%。営業網は東京・大阪・札幌・福岡など全国
- [15]東京-インド直行便は日航とインド航空のみで往復17万〜18万円。バンコク経由でカルカッタまで10万円前後の券を販売。香港経由の中国ツアーも10万円以下。粗利益率は一般10%程度に対し独自商品30%。営業網は東京・大阪・札幌・福岡など全国
- [17]東京-インド直行便は日航とインド航空のみで往復17万〜18万円。バンコク経由でカルカッタまで10万円前後の券を販売。香港経由の中国ツアーも10万円以下。粗利益率は一般10%程度に対し独自商品30%。営業網は東京・大阪・札幌・福岡など全国
- [18]東京-インド直行便は日航とインド航空のみで往復17万〜18万円。バンコク経由でカルカッタまで10万円前後の券を販売。香港経由の中国ツアーも10万円以下。粗利益率は一般10%程度に対し独自商品30%。営業網は東京・大阪・札幌・福岡など全国
- [19]東京-インド直行便は日航とインド航空のみで往復17万〜18万円。バンコク経由でカルカッタまで10万円前後の券を販売。香港経由の中国ツアーも10万円以下。粗利益率は一般10%程度に対し独自商品30%。営業網は東京・大阪・札幌・福岡など全国
- ドリームゲート起業家インタビュー 第31回 2006年12月「株式会社エイチ・アイ・エス 澤田秀雄」
- [16]澤田秀雄氏のインド旅行経験を元にバンコク経由の格安インド自由旅行、香港経由の中国自由旅行を企画
参考文献[1]-[19]
- 日経ビジネス 1998年4月13日号 p84-86〔フォーカスひと〕
- [1]1980年に東京・新宿で机2つ・電話1本・社員は夫婦2人の旅行会社として設立
- [2]1980年に東京・新宿で机2つ・電話1本・社員は夫婦2人の旅行会社として設立
- [8]当時の格安航空券は団体用に安く認可された運賃の航空券を個人売りする手法。利用上の制約があり払い戻し不可で大手業者が見向きもしない分野
- [9]当時の格安航空券は団体用に安く認可された運賃の航空券を個人売りする手法。利用上の制約があり払い戻し不可で大手業者が見向きもしない分野
- 日経ビジネス 1995年4月10日号 p66-69 編集長インタビュー
- [3]1973〜76年に旧西独マインツ大学経済学部に留学し50カ国以上を旅行。航空券の内外価格差が大きく日本人だけが高く買うのはおかしい、高いと若い人の機会が失われると考えた
- [5]1973〜76年に旧西独マインツ大学経済学部に留学し50カ国以上を旅行。航空券の内外価格差が大きく日本人だけが高く買うのはおかしい、高いと若い人の機会が失われると考えた
- [7]1973〜76年に旧西独マインツ大学経済学部に留学し50カ国以上を旅行。航空券の内外価格差が大きく日本人だけが高く買うのはおかしい、高いと若い人の機会が失われると考えた
- ドリームゲート起業家インタビュー 第31回 2006年12月「株式会社エイチ・アイ・エス 澤田秀雄」
- [4]1976年帰国後に内外価格差に着目し毛皮の輸入販売を始めたがワシントン条約で断念。次に格安航空券販売を構想し1980年12月にインターナショナルツアーズ設立
- [6]1976年帰国後に内外価格差に着目し毛皮の輸入販売を始めたがワシントン条約で断念。次に格安航空券販売を構想し1980年12月にインターナショナルツアーズ設立
- [10]大手航空会社に取引を断られホールセラーとマイナーな航空会社から仕入れ。空港渡しで怪しまれたが口コミで客が増加。1981年年商約3億円、1989年約164億円
- [11]大手航空会社に取引を断られホールセラーとマイナーな航空会社から仕入れ。空港渡しで怪しまれたが口コミで客が増加。1981年年商約3億円、1989年約164億円
- [12]大手航空会社に取引を断られホールセラーとマイナーな航空会社から仕入れ。空港渡しで怪しまれたが口コミで客が増加。1981年年商約3億円、1989年約164億円
- [16]澤田秀雄氏のインド旅行経験を元にバンコク経由の格安インド自由旅行、香港経由の中国自由旅行を企画
- 日経ビジネス 1991年5月20日号 p49
- [13]東京-インド直行便は日航とインド航空のみで往復17万〜18万円。バンコク経由でカルカッタまで10万円前後の券を販売。香港経由の中国ツアーも10万円以下。粗利益率は一般10%程度に対し独自商品30%。営業網は東京・大阪・札幌・福岡など全国
- [14]東京-インド直行便は日航とインド航空のみで往復17万〜18万円。バンコク経由でカルカッタまで10万円前後の券を販売。香港経由の中国ツアーも10万円以下。粗利益率は一般10%程度に対し独自商品30%。営業網は東京・大阪・札幌・福岡など全国
- [15]東京-インド直行便は日航とインド航空のみで往復17万〜18万円。バンコク経由でカルカッタまで10万円前後の券を販売。香港経由の中国ツアーも10万円以下。粗利益率は一般10%程度に対し独自商品30%。営業網は東京・大阪・札幌・福岡など全国
- [17]東京-インド直行便は日航とインド航空のみで往復17万〜18万円。バンコク経由でカルカッタまで10万円前後の券を販売。香港経由の中国ツアーも10万円以下。粗利益率は一般10%程度に対し独自商品30%。営業網は東京・大阪・札幌・福岡など全国
- [18]東京-インド直行便は日航とインド航空のみで往復17万〜18万円。バンコク経由でカルカッタまで10万円前後の券を販売。香港経由の中国ツアーも10万円以下。粗利益率は一般10%程度に対し独自商品30%。営業網は東京・大阪・札幌・福岡など全国
- [19]東京-インド直行便は日航とインド航空のみで往復17万〜18万円。バンコク経由でカルカッタまで10万円前後の券を販売。香港経由の中国ツアーも10万円以下。粗利益率は一般10%程度に対し独自商品30%。営業網は東京・大阪・札幌・福岡など全国
1990年〜エイチ・アイ・エスへの社名変更と、新PEXで規制に風穴をあけた末の店頭公開
インターナショナルツアーズは1990年、社名をエイチ・アイ・エスに改めた。同じ年にはコンピューターへの大規模な情報投資にも着手した。パソコンから米国大手航空会社の予約網へつなぐ仕組みは、松山市への進出時に大手に先立って整った。米国大手航空会社の予約網への加盟は1991年時点で約8年前にさかのぼり、業界では近畿日本ツーリストに次ぐ2番目に当たる。経営の前提には『旅行代理店も情報産業』という澤田秀雄氏の発想があった。1990年10月期の申告所得は7億1622万円と前年度の2倍を超え、業種別順位は20位から8位へ上がり、売上高は235億円に達した。情報網に独自商品を載せて売る仕組みが、格安のままでも利益の残る体質をつくったといえる。
- 日経ビジネス 1998年4月13日号 p84-86〔フォーカスひと〕
- [20]1990年にエイチ・アイ・エスに社名変更
- ドリームゲート起業家インタビュー 第31回 2006年12月「株式会社エイチ・アイ・エス 澤田秀雄」
- [21]1990年の社名変更と同時にコンピュータなどへの大規模情報投資を開始
- 日経ビジネス 1991年5月20日号 p49
- [22]90年松山市進出時に大手に先立ちパソコンで米大手航空会社の予約網に接続。約8年前(1991年時点)に加盟し近畿日本ツーリストに次ぎ2番目。90年10月期申告所得7億1622万円(前年度の2倍以上、業種別20位→8位)、売上高235億円
- [23]90年松山市進出時に大手に先立ちパソコンで米大手航空会社の予約網に接続。約8年前(1991年時点)に加盟し近畿日本ツーリストに次ぎ2番目。90年10月期申告所得7億1622万円(前年度の2倍以上、業種別20位→8位)、売上高235億円
- [24]90年松山市進出時に大手に先立ちパソコンで米大手航空会社の予約網に接続。約8年前(1991年時点)に加盟し近畿日本ツーリストに次ぎ2番目。90年10月期申告所得7億1622万円(前年度の2倍以上、業種別20位→8位)、売上高235億円
- [25]90年松山市進出時に大手に先立ちパソコンで米大手航空会社の予約網に接続。約8年前(1991年時点)に加盟し近畿日本ツーリストに次ぎ2番目。90年10月期申告所得7億1622万円(前年度の2倍以上、業種別20位→8位)、売上高235億円
格安航空券の販売は、航空会社・大手旅行会社・運輸省の3者との摩擦を生んだ。航空会社からは自社の券を売らないよう求められ、大手旅行会社も圧力をかけた。運輸省の専門官は罰則で縛る考えはないとしつつ、格安航空券を違法とみて是正の必要を指摘した。挑戦の相手を問われた際の答えは『お客さんに本当に喜ばれるというのが一番の狙いですから』という一言だった。エイチ・アイ・エスは政治家への働きかけも訴訟も選ばず、繁忙期の座席を求めずにオフシーズンの余った座席から仕入れた。1994年には個人向け特別回遊運賃(新PEX)が導入され、航空運賃は全体に下がった。客の支持を背に正面から売り続けたことが、運賃制度の見直しを後押ししたと思われる。
- 日経ビジネス 1995年4月10日号 p66-69 編集長インタビュー
- [26]創業以来、航空会社から売るなと言われ大手旅行会社の圧力も強かった。裏の手や訴訟は使わずオフシーズンの余った席から仕入れ。1994年の新PEX導入で料金が全体的に下がった
- [28]創業以来、航空会社から売るなと言われ大手旅行会社の圧力も強かった。裏の手や訴訟は使わずオフシーズンの余った席から仕入れ。1994年の新PEX導入で料金が全体的に下がった
- [30]創業以来、航空会社から売るなと言われ大手旅行会社の圧力も強かった。裏の手や訴訟は使わずオフシーズンの余った席から仕入れ。1994年の新PEX導入で料金が全体的に下がった
- [31]創業以来、航空会社から売るなと言われ大手旅行会社の圧力も強かった。裏の手や訴訟は使わずオフシーズンの余った席から仕入れ。1994年の新PEX導入で料金が全体的に下がった
- [32]創業以来、航空会社から売るなと言われ大手旅行会社の圧力も強かった。裏の手や訴訟は使わずオフシーズンの余った席から仕入れ。1994年の新PEX導入で料金が全体的に下がった
- 日経ビジネス 1993年5月10日号 p72-76〔挑む〕
- [27]運輸省航空事業課専門官は罰則で縛る考えはないが違法は違法で是正が必要との見解。運輸省・航空会社・大手代理店の既成勢力が占める市場
- [29]運輸省航空事業課専門官は罰則で縛る考えはないが違法は違法で是正が必要との見解。運輸省・航空会社・大手代理店の既成勢力が占める市場
エイチ・アイ・エスは1995年3月30日、株式を店頭市場に公開した。旅行の安売り企業では初の事例で、創業から14期続けた増収増益の末の公開。公開を視野に入れたのは約5年前で、狙いは3つあった。第1は個人企業に近い会社を公のものにすること、第2は急拡大で手薄だった総務・経理の管理を監査の受け入れで固めることである。第3の狙いは、無借金経営のまま大きな事業に挑む際の資金調達の備えだった。公開後の1995年10月期は売上高873億円、経常利益29億円で、売上高に対する経常利益の比率で最大手の日本交通公社を上回る。公開で整えた調達の手段が、翌年からのホテルと航空会社への投資の布石になったのだろう。
- 日経ビジネス 1998年4月13日号 p84-86〔フォーカスひと〕
- [33]1995年に株式を店頭公開
- 日経ビジネス 1995年4月10日号 p66-69 編集長インタビュー
- [34]1995年3月30日に店頭公開。旅行関係ディスカウント企業で初、14期連続増収増益。約5年前に公開を射程に。理由は個人企業の公開化、総務・経理の管理強化、新事業に備えた資金調達体制(現在は無借金経営)
- [35]1995年3月30日に店頭公開。旅行関係ディスカウント企業で初、14期連続増収増益。約5年前に公開を射程に。理由は個人企業の公開化、総務・経理の管理強化、新事業に備えた資金調達体制(現在は無借金経営)
- [36]1995年3月30日に店頭公開。旅行関係ディスカウント企業で初、14期連続増収増益。約5年前に公開を射程に。理由は個人企業の公開化、総務・経理の管理強化、新事業に備えた資金調達体制(現在は無借金経営)
- [37]1995年3月30日に店頭公開。旅行関係ディスカウント企業で初、14期連続増収増益。約5年前に公開を射程に。理由は個人企業の公開化、総務・経理の管理強化、新事業に備えた資金調達体制(現在は無借金経営)
- [38]1995年3月30日に店頭公開。旅行関係ディスカウント企業で初、14期連続増収増益。約5年前に公開を射程に。理由は個人企業の公開化、総務・経理の管理強化、新事業に備えた資金調達体制(現在は無借金経営)
- ドリームゲート起業家インタビュー 第31回 2006年12月「株式会社エイチ・アイ・エス 澤田秀雄」
- [39]無借金経営にこだわり、上場の資金調達で昔から描いていた事業構想に着手できると考えた
- 日経ビジネス 1996年8月26日号 p170-179
- [40]95年10月期は売上高873億円、経常利益29億円。売上高経常利益率は業界最大手のJTBを上回る
参考文献[20]-[40]
- 日経ビジネス 1998年4月13日号 p84-86〔フォーカスひと〕
- [20]1990年にエイチ・アイ・エスに社名変更
- [33]1995年に株式を店頭公開
- ドリームゲート起業家インタビュー 第31回 2006年12月「株式会社エイチ・アイ・エス 澤田秀雄」
- [21]1990年の社名変更と同時にコンピュータなどへの大規模情報投資を開始
- [39]無借金経営にこだわり、上場の資金調達で昔から描いていた事業構想に着手できると考えた
- 日経ビジネス 1991年5月20日号 p49
- [22]90年松山市進出時に大手に先立ちパソコンで米大手航空会社の予約網に接続。約8年前(1991年時点)に加盟し近畿日本ツーリストに次ぎ2番目。90年10月期申告所得7億1622万円(前年度の2倍以上、業種別20位→8位)、売上高235億円
- [23]90年松山市進出時に大手に先立ちパソコンで米大手航空会社の予約網に接続。約8年前(1991年時点)に加盟し近畿日本ツーリストに次ぎ2番目。90年10月期申告所得7億1622万円(前年度の2倍以上、業種別20位→8位)、売上高235億円
- [24]90年松山市進出時に大手に先立ちパソコンで米大手航空会社の予約網に接続。約8年前(1991年時点)に加盟し近畿日本ツーリストに次ぎ2番目。90年10月期申告所得7億1622万円(前年度の2倍以上、業種別20位→8位)、売上高235億円
- [25]90年松山市進出時に大手に先立ちパソコンで米大手航空会社の予約網に接続。約8年前(1991年時点)に加盟し近畿日本ツーリストに次ぎ2番目。90年10月期申告所得7億1622万円(前年度の2倍以上、業種別20位→8位)、売上高235億円
- 日経ビジネス 1995年4月10日号 p66-69 編集長インタビュー
- [26]創業以来、航空会社から売るなと言われ大手旅行会社の圧力も強かった。裏の手や訴訟は使わずオフシーズンの余った席から仕入れ。1994年の新PEX導入で料金が全体的に下がった
- [28]創業以来、航空会社から売るなと言われ大手旅行会社の圧力も強かった。裏の手や訴訟は使わずオフシーズンの余った席から仕入れ。1994年の新PEX導入で料金が全体的に下がった
- [30]創業以来、航空会社から売るなと言われ大手旅行会社の圧力も強かった。裏の手や訴訟は使わずオフシーズンの余った席から仕入れ。1994年の新PEX導入で料金が全体的に下がった
- [31]創業以来、航空会社から売るなと言われ大手旅行会社の圧力も強かった。裏の手や訴訟は使わずオフシーズンの余った席から仕入れ。1994年の新PEX導入で料金が全体的に下がった
- [32]創業以来、航空会社から売るなと言われ大手旅行会社の圧力も強かった。裏の手や訴訟は使わずオフシーズンの余った席から仕入れ。1994年の新PEX導入で料金が全体的に下がった
- [34]1995年3月30日に店頭公開。旅行関係ディスカウント企業で初、14期連続増収増益。約5年前に公開を射程に。理由は個人企業の公開化、総務・経理の管理強化、新事業に備えた資金調達体制(現在は無借金経営)
- [35]1995年3月30日に店頭公開。旅行関係ディスカウント企業で初、14期連続増収増益。約5年前に公開を射程に。理由は個人企業の公開化、総務・経理の管理強化、新事業に備えた資金調達体制(現在は無借金経営)
- [36]1995年3月30日に店頭公開。旅行関係ディスカウント企業で初、14期連続増収増益。約5年前に公開を射程に。理由は個人企業の公開化、総務・経理の管理強化、新事業に備えた資金調達体制(現在は無借金経営)
- [37]1995年3月30日に店頭公開。旅行関係ディスカウント企業で初、14期連続増収増益。約5年前に公開を射程に。理由は個人企業の公開化、総務・経理の管理強化、新事業に備えた資金調達体制(現在は無借金経営)
- [38]1995年3月30日に店頭公開。旅行関係ディスカウント企業で初、14期連続増収増益。約5年前に公開を射程に。理由は個人企業の公開化、総務・経理の管理強化、新事業に備えた資金調達体制(現在は無借金経営)
- 日経ビジネス 1993年5月10日号 p72-76〔挑む〕
- [27]運輸省航空事業課専門官は罰則で縛る考えはないが違法は違法で是正が必要との見解。運輸省・航空会社・大手代理店の既成勢力が占める市場
- [29]運輸省航空事業課専門官は罰則で縛る考えはないが違法は違法で是正が必要との見解。運輸省・航空会社・大手代理店の既成勢力が占める市場
- 日経ビジネス 1996年8月26日号 p170-179
- [40]95年10月期は売上高873億円、経常利益29億円。売上高経常利益率は業界最大手のJTBを上回る
1996年〜ゴールドコーストのホテルと、大手3社の国内線に挑んだスカイマークエアラインズ
エイチ・アイ・エスは1996年11月、オーストラリアのゴールドコーストでホテルを開業した。同じころ運輸省が個人旅行向けの割引運賃を認め、格安航空券の割安感は薄れた。エイチ・アイ・エスはビジネスクラスの航空券など高額の旅行商品へ品ぞろえを移し始めた。1997年6月時点では、ホテルに続いて損害保険への参入も視野に入れた。1998年4月時点で直営ホテルはゴールドコースト、ケアンズ、マレーシアの3軒となった。5年以内に20軒の運営と経営指導を手がけ、世界で通用する総合旅行産業を築く目標を掲げた。航空券の価格差が縮むなか、宿泊と現地の情報を自ら握ることで利幅を確保しようとしたと推察される。
- ドリームゲート起業家インタビュー 第31回 2006年12月「株式会社エイチ・アイ・エス 澤田秀雄」
- [41]1996年11月、オーストラリア・ゴールドコーストにホテルをオープン
- 日経ビジネス 1997年6月30日号 p68-70 編集長インタビュー
- [42]96年11月に豪州にホテル開業。ホテルに続き損害保険も視野(1997年6月時点)
- [45]96年11月に豪州にホテル開業。ホテルに続き損害保険も視野(1997年6月時点)
- 日経ビジネス 1996年8月26日号 p170-179
- [43]運輸省がエコノミークラスに個人旅行向け割引運賃を認め格安チケットの割安感が薄れた。次の標的はビジネスクラスなど高額旅行商品(1996年8月時点)
- [44]運輸省がエコノミークラスに個人旅行向け割引運賃を認め格安チケットの割安感が薄れた。次の標的はビジネスクラスなど高額旅行商品(1996年8月時点)
- 日経ビジネス 1998年4月13日号 p84-86〔フォーカスひと〕
- [46]1998年4月時点でゴールドコースト・ケアンズ・マレーシアの3ホテルを直営。5年以内に20軒の運営・経営コンサルティング。目標は世界的に通用する総合旅行産業
- [47]1998年4月時点でゴールドコースト・ケアンズ・マレーシアの3ホテルを直営。5年以内に20軒の運営・経営コンサルティング。目標は世界的に通用する総合旅行産業
澤田秀雄氏は1996年11月、航空会社スカイマークエアラインズを設立し、会長に就任した。国内の定期航空会社としては43年ぶりの新設。海外航空券は日本に乗り入れる外国の航空会社も販売するため、規制をかけても安い券が必ず市場に出た。これに対し国内線は全日本空輸・日本航空・日本エアシステムの大手3社がほぼ独占し、思うような格安運賃を出せなかった。設立の背景には『とにかく日本の国内航空運賃は高い』という認識があり、運賃は既存の半額を目標に掲げた。ただし羽田空港の発着枠は、希望した1日6枠に対して3枠しか認められなかった。機内のキッチンを外して座席を1割以上増やし、航空券を発行しない予約で費用を4〜5割削減する計画である。
- 日経ビジネス 1998年4月13日号 p84-86〔フォーカスひと〕
- [48]1996年にスカイマークエアラインズを設立し会長就任。海外航空券は外国航空会社が売るため規制しても安い券が出るが、国内線は全日空・日航・日本エアシステムの大手3社がほぼ独占し格安チケットを出せない
- [51]1996年にスカイマークエアラインズを設立し会長就任。海外航空券は外国航空会社が売るため規制しても安い券が出るが、国内線は全日空・日航・日本エアシステムの大手3社がほぼ独占し格安チケットを出せない
- [52]1996年にスカイマークエアラインズを設立し会長就任。海外航空券は外国航空会社が売るため規制しても安い券が出るが、国内線は全日空・日航・日本エアシステムの大手3社がほぼ独占し格安チケットを出せない
- 日経ビジネス 1997年6月30日号 p68-70 編集長インタビュー
- [49]1996年11月にスカイマークエアラインズ設立、43年ぶりの国内定期航空会社。運賃半額が方針。羽田の発着枠は希望6枠に対し3枠。キッチン撤去で座席1割以上増、チケットレスでコスト4〜5割削減を見込む
- [50]1996年11月にスカイマークエアラインズ設立、43年ぶりの国内定期航空会社。運賃半額が方針。羽田の発着枠は希望6枠に対し3枠。キッチン撤去で座席1割以上増、チケットレスでコスト4〜5割削減を見込む
- [53]1996年11月にスカイマークエアラインズ設立、43年ぶりの国内定期航空会社。運賃半額が方針。羽田の発着枠は希望6枠に対し3枠。キッチン撤去で座席1割以上増、チケットレスでコスト4〜5割削減を見込む
- [54]1996年11月にスカイマークエアラインズ設立、43年ぶりの国内定期航空会社。運賃半額が方針。羽田の発着枠は希望6枠に対し3枠。キッチン撤去で座席1割以上増、チケットレスでコスト4〜5割削減を見込む
- [55]1996年11月にスカイマークエアラインズ設立、43年ぶりの国内定期航空会社。運賃半額が方針。羽田の発着枠は希望6枠に対し3枠。キッチン撤去で座席1割以上増、チケットレスでコスト4〜5割削減を見込む
スカイマークエアラインズは1998年2月6日、運輸省へ路線開設の認可申請を出した。当初は1997年末までに申請を終えて1998年8月に就航する計画で、手続きの長期化により予定は9月13日にずれた。機体整備は競合相手である大手の整備部門へ任せるほかなく、全日本空輸と委託料の交渉が続いた。1998年9月、国内で4番目の航空会社として一番機を就航させた。母体のエイチ・アイ・エスは1997年10月期に年間集客数約180万人、売上高約1400億円である。1999年、澤田秀雄氏は協立証券の株式取得を経て、エイチ・アイ・エス協立証券の社長に就任した。旅行で積み上げた顧客と資金を、航空から金融へ隣接する事業に広げる段階に入ったとも読める。
- 日経ビジネス 1998年4月13日号 p84-86〔フォーカスひと〕
- [56]1998年2月6日に運輸省へ路線開設の認可申請。当初は昨年末申請・8月就航予定が9月13日に。整備は大手の整備部門に委託せざるを得ず全日空と交渉中。97年10月期の年間集客約180万人・売上高約1400億円
- [57]1998年2月6日に運輸省へ路線開設の認可申請。当初は昨年末申請・8月就航予定が9月13日に。整備は大手の整備部門に委託せざるを得ず全日空と交渉中。97年10月期の年間集客約180万人・売上高約1400億円
- [58]1998年2月6日に運輸省へ路線開設の認可申請。当初は昨年末申請・8月就航予定が9月13日に。整備は大手の整備部門に委託せざるを得ず全日空と交渉中。97年10月期の年間集客約180万人・売上高約1400億円
- [60]1998年2月6日に運輸省へ路線開設の認可申請。当初は昨年末申請・8月就航予定が9月13日に。整備は大手の整備部門に委託せざるを得ず全日空と交渉中。97年10月期の年間集客約180万人・売上高約1400億円
- ドリームゲート起業家インタビュー 第31回 2006年12月「株式会社エイチ・アイ・エス 澤田秀雄」
- [59]1998年9月、国内4番目の航空会社スカイマークエアラインズを就航。1999年、協立証券の株式を取得しエイチ・アイ・エス協立証券の代表取締役社長に就任
- [61]1998年9月、国内4番目の航空会社スカイマークエアラインズを就航。1999年、協立証券の株式を取得しエイチ・アイ・エス協立証券の代表取締役社長に就任
参考文献[41]-[61]
- ドリームゲート起業家インタビュー 第31回 2006年12月「株式会社エイチ・アイ・エス 澤田秀雄」
- [41]1996年11月、オーストラリア・ゴールドコーストにホテルをオープン
- [59]1998年9月、国内4番目の航空会社スカイマークエアラインズを就航。1999年、協立証券の株式を取得しエイチ・アイ・エス協立証券の代表取締役社長に就任
- [61]1998年9月、国内4番目の航空会社スカイマークエアラインズを就航。1999年、協立証券の株式を取得しエイチ・アイ・エス協立証券の代表取締役社長に就任
- 日経ビジネス 1997年6月30日号 p68-70 編集長インタビュー
- [42]96年11月に豪州にホテル開業。ホテルに続き損害保険も視野(1997年6月時点)
- [45]96年11月に豪州にホテル開業。ホテルに続き損害保険も視野(1997年6月時点)
- [49]1996年11月にスカイマークエアラインズ設立、43年ぶりの国内定期航空会社。運賃半額が方針。羽田の発着枠は希望6枠に対し3枠。キッチン撤去で座席1割以上増、チケットレスでコスト4〜5割削減を見込む
- [50]1996年11月にスカイマークエアラインズ設立、43年ぶりの国内定期航空会社。運賃半額が方針。羽田の発着枠は希望6枠に対し3枠。キッチン撤去で座席1割以上増、チケットレスでコスト4〜5割削減を見込む
- [53]1996年11月にスカイマークエアラインズ設立、43年ぶりの国内定期航空会社。運賃半額が方針。羽田の発着枠は希望6枠に対し3枠。キッチン撤去で座席1割以上増、チケットレスでコスト4〜5割削減を見込む
- [54]1996年11月にスカイマークエアラインズ設立、43年ぶりの国内定期航空会社。運賃半額が方針。羽田の発着枠は希望6枠に対し3枠。キッチン撤去で座席1割以上増、チケットレスでコスト4〜5割削減を見込む
- [55]1996年11月にスカイマークエアラインズ設立、43年ぶりの国内定期航空会社。運賃半額が方針。羽田の発着枠は希望6枠に対し3枠。キッチン撤去で座席1割以上増、チケットレスでコスト4〜5割削減を見込む
- 日経ビジネス 1996年8月26日号 p170-179
- [43]運輸省がエコノミークラスに個人旅行向け割引運賃を認め格安チケットの割安感が薄れた。次の標的はビジネスクラスなど高額旅行商品(1996年8月時点)
- [44]運輸省がエコノミークラスに個人旅行向け割引運賃を認め格安チケットの割安感が薄れた。次の標的はビジネスクラスなど高額旅行商品(1996年8月時点)
- 日経ビジネス 1998年4月13日号 p84-86〔フォーカスひと〕
- [46]1998年4月時点でゴールドコースト・ケアンズ・マレーシアの3ホテルを直営。5年以内に20軒の運営・経営コンサルティング。目標は世界的に通用する総合旅行産業
- [47]1998年4月時点でゴールドコースト・ケアンズ・マレーシアの3ホテルを直営。5年以内に20軒の運営・経営コンサルティング。目標は世界的に通用する総合旅行産業
- [48]1996年にスカイマークエアラインズを設立し会長就任。海外航空券は外国航空会社が売るため規制しても安い券が出るが、国内線は全日空・日航・日本エアシステムの大手3社がほぼ独占し格安チケットを出せない
- [51]1996年にスカイマークエアラインズを設立し会長就任。海外航空券は外国航空会社が売るため規制しても安い券が出るが、国内線は全日空・日航・日本エアシステムの大手3社がほぼ独占し格安チケットを出せない
- [52]1996年にスカイマークエアラインズを設立し会長就任。海外航空券は外国航空会社が売るため規制しても安い券が出るが、国内線は全日空・日航・日本エアシステムの大手3社がほぼ独占し格安チケットを出せない
- [56]1998年2月6日に運輸省へ路線開設の認可申請。当初は昨年末申請・8月就航予定が9月13日に。整備は大手の整備部門に委託せざるを得ず全日空と交渉中。97年10月期の年間集客約180万人・売上高約1400億円
- [57]1998年2月6日に運輸省へ路線開設の認可申請。当初は昨年末申請・8月就航予定が9月13日に。整備は大手の整備部門に委託せざるを得ず全日空と交渉中。97年10月期の年間集客約180万人・売上高約1400億円
- [58]1998年2月6日に運輸省へ路線開設の認可申請。当初は昨年末申請・8月就航予定が9月13日に。整備は大手の整備部門に委託せざるを得ず全日空と交渉中。97年10月期の年間集客約180万人・売上高約1400億円
- [60]1998年2月6日に運輸省へ路線開設の認可申請。当初は昨年末申請・8月就航予定が9月13日に。整備は大手の整備部門に委託せざるを得ず全日空と交渉中。97年10月期の年間集客約180万人・売上高約1400億円
出典・参考
7件
- 日経ビジネス 1991年5月20日号 p49
- 日経ビジネス 1993年5月10日号 p72-76〔挑む〕
- 日経ビジネス 1995年4月10日号 p66-69 編集長インタビュー
- 日経ビジネス 1996年8月26日号 p170-179
- 日経ビジネス 1997年6月30日号 p68-70 編集長インタビュー
- 日経ビジネス 1998年4月13日号 p84-86〔フォーカスひと〕
- ドリームゲート起業家インタビュー 第31回 2006年12月「株式会社エイチ・アイ・エス 澤田秀雄」