広済堂HDの歴史
沿革
1949年に創業した櫻井謄写堂が起源。
1994年に東京博善を子会社化して2020年に完全子会社とし、2021年には持株会社体制へ移行して広済堂ホールディングスに改称した。印刷を祖業とし、東京博善やキャリアステーションなどを傘下に持つ持株会社である。
創業期
1949年〜櫻井謄写堂の創業と宇都宮工場の新設
- 櫻井謄写堂を創業[1]
- 港区新堀町に社屋を新設し自営独立の操業を開始[2]
- 港区四国町に新社屋が完成し操業を開始[2]
- 桜井広済堂を設立[2]
- 桜井広済堂大阪支店が発足[2]
- 櫻井廣済堂を設立[2]
- 関西櫻井廣済堂を設立しタイプオフセット印刷業を開始[2]
- 株式会社櫻井廣済堂に組織変更[1]
- 豊中工場を開設[2]
- 浦和工場を新設[1]
- タイプオフセットを廃止し写植オフセット印刷に切り替え[2]
- 日本初のコンピュータ組版会社を設立[2]
- 廣済堂印刷に商号変更[1]
- 宇都宮工場を新設[1]
- アルバイト情報誌を創刊し求人情報事業を開始[2]
- クラウンガスライターなど2社と合併し廣済堂クラウンに商号変更[2]
- 岡山情報センターを開設[2]
売上高
- 売上高
広済堂ホールディングス売上高—
成長期
1980年〜ゴルフ場経営への参入と東京博善への経営支援
- 豊中市の新社屋に本社機構と豊中工場を移転[2]
- ゴルフ場経営に参入[1]
- 廣済堂に商号変更[1]
- 特許事業部が光ディスクによる入力作業を開始[2]
- 同窓会名簿事業を開始[2]
- 東京博善への経営支援を開始[1]
- 新聞印刷事業部門を新設[2]
- 広告代理業を開始[2]
- 浦和第二新工場を開設[2]
- 三田電算センターを開設[2]
- 廣済堂新聞印刷を設立[1]
- 印刷本社ビルが竣工[2]
- 大阪証券取引所市場第二部に上場[2]
- 浦和第三新工場を開設[2]
売上高
- 売上高
広済堂ホールディングス売上高—
成長期
1994年〜東京博善の子会社化と東証・大証一部上場
- マルチメディア事業分野に参入、廣済堂印刷に商号変更[2]
- 廣済堂印刷に商号変更[1]
- 東京博善を子会社化[1]
- 宇都宮新工場が竣工[2]
- ぱど(北摂版)を発行、CATV事業を開始[2]
- 廣済堂出版を完全子会社化[1]
- 人材派遣事業を開始[2]
- 東京証券取引所市場第二部に上場[1]
- 廣済堂印刷と関西廣済堂が合併し廣済堂に商号変更[2]
- 関西廣済堂と合併[1]
- 廣済堂に商号変更[1]
- 東京証券取引所及び大阪証券取引所市場第一部に上場[1]
- 廣済堂新聞印刷を合併[2]
- 威海廣済堂北越包装有限公司を設立[2]
- 札幌廣済堂印刷と廣済堂製版センターを合併[2]
- 中期経営計画「KOSAIDOパラダイムシフト2011~2013」を発表[2]
売上高経常利益率
- 売上高
- 経常利益率
広済堂ホールディングス2012年3月期売上高390億円売上高経常利益率11.0%
転換期
2013年〜ゴルフ場事業の譲渡と持株会社体制への移行
- KOSAIDO HR VIETNAMを設立[2]
- ゴルフ場事業関連子会社3社の全株式を譲渡[1]
- 金羊社と資本業務提携[1]
- ファインズを子会社化[1]
- 本社ビル・芝園ビル・銀座ビルを売却[1]
- キャリアステーションを完全子会社化[1]
- 共同システムサービスを完全子会社化[1]
- 廣済堂出版の全株式を譲渡[1]
- 東京博善を完全子会社化[1]
- 広済堂ネクストを設立[2]
- 広済堂あかつきの全保有株式を譲渡[1]
- 持株会社体制に移行[2]
- 広済堂ホールディングスに商号変更[2]
- プライム市場に移行[1]
- 合弁会社グランセレモ東京を設立[1]
- SBIホールディングスと資本業務提携[1]
- 常盤誠氏が社長に就任[3]
- R&Lホールディングスが主要株主に異動[3]
売上高経常利益率
- 売上高
- 売上原価
- 販管費
- 営業利益
- 経常利益率
広済堂ホールディングス2026年3月期売上高362億円売上高経常利益率18.2%
| 就任年 | 社長氏名 | 役職名 |
|---|---|---|
| 2019年 | 根岸千尋 | 代表取締役社長 |
| 2021年 | 黒澤洋史 | 代表取締役社長 |
| 2024年 | 前川雅彦 | 代表取締役社長→入社 上席執行役員 |
| 常盤誠 |