ユニバーサルエンターテインメントの歴史
沿革
1969年に設立されたジュークボックスのリース会社ユニバーサルリースが起源。
1980年に回胴式遊技機の製造に参入し、2016年にはフィリピンでカジノリゾート「オカダ・マニラ」の運営を始めた。パチスロ機を主力とする遊技機メーカーで、海外でカジノリゾートも運営する。
創業期
1969年〜ユニバーサルリースの設立と回胴式遊技機への参入
- ジュークボックスのリース業を営むユニバーサルリースとして設立[1]
- 遊戯機械の製造開始[1]
- ユニバーサルに商号変更[2]
- 販売部門を分離しユニバーサル技研を設立[1]
- ユニバーサル技研をユニバーサル販売に商号変更[2]
- 栃木県小山市に新工場を建設[2]
- 各種ゲームマシンの製造を開始[2]
- 開発部門を分離しユニバーサルテクノスを設立[1]
- 小山第二工場が完成[2]
- 回胴式遊技機の製造に参入[3]
- 福岡営業所を開設[1]
- 鳥取県米子市に工場を取得[2]
- 米子の工場でアミューズメント機の生産を開始[2]
- フランスのカジノへのゲームマシン導入で許可を取得[4]
- ユニバーサル販売がユニバーサルを吸収合併[1]
売上高
- 売上高
ユニバーサルエンターテインメント売上高—
転換期
1998年〜アルゼへの改称とフィリピンでのカジノリゾート仮許可の取得
- アルゼに商号変更[1]
- 東京・有明に本社を移転[2]
- 日本証券業協会に株式を店頭登録[3]
- 遊技機工場を新設[2]
- Aruze USA, Inc. の株式取得[2]
- ネバダ州でゲーミング機器製造者ライセンス取得[2]
- ジャスダック証券取引所に株式を上場[2]
- Universal Distributing of Nevada, Inc. を子会社化[3]
- 米国ネバダ州のゲーミング機器製造者ライセンスを無期限で取得[2]
- 海外カジノ向けゲーミング機器事業を譲渡[3]
- 委員会設置会社に移行[2]
- フィリピンでカジノリゾート運営の仮許可を取得[2]
売上高
- 売上高
ユニバーサルエンターテインメント売上高—
| 就任年 | 社長氏名 | 役職名 |
|---|---|---|
| 2006年 | 富士本淳 | 代表取締役社長→代表執行役→代表取締役副会長→代表取締役社長 CEO CIO |
安定成長期
2009年〜マニラベイリゾーツの経済特区認定と着工
- Aruze Gaming America, Inc. の全株式を譲渡[3]
- ユニバーサルエンターテインメントに商号変更[2]
- マニラベイリゾーツが経済特区の認定を取得[2]
- 大阪証券取引所JASDAQに上場[2]
- 監査役会設置会社に移行[2]
- マニラベイリゾーツの着工[2]
- パチスロファンイベント「ユニバーサルカーニバル2013」を開催[2]
- 東京証券取引所JASDAQに上場[2]
- 岡田美術館を開設[2]
売上高経常利益率
- 売上高
- 売上原価
- 販管費
- 営業利益
- 経常利益率
ユニバーサルエンターテインメント2015年3月期売上高881億円売上高経常利益率25.1%
| 就任年 | 社長氏名 | 役職名 |
|---|---|---|
| 2006年 | 富士本淳 | 代表取締役社長→代表執行役→代表取締役副会長→代表取締役社長 CEO CIO |
成熟期
2016年〜オカダ・マニラのカジノ開業と連結減損損失の計上
- 「ユニバーサルカーニバル」と「サミーフェスティバル」を共同開催[2]
- サミーとの合弁でジーグを設立[2]
- フィリピンのカジノリゾートの名称を「OKADA MANILA」に決定[2]
- オカダ・マニラでカジノ運営開始[3]
- OKADA MANILAに世界最大級のマルチカラー噴水「ザ・ファウンテン」が完成[2]
- オカダ・マニラにCove Manilaを開業[3]
- オカダ・マニラのタワーAが完成[3]
- オカダ・マニラのタワーBが完成[3]
- 東京証券取引所スタンダード市場へ移行[2]
- 德田一氏が社長に就任[5]
- 岡田知裕氏が社長に就任[5]
- 監査等委員会設置会社に移行[2]
- 連結で減損損失を計上[5]
売上高営業利益率
- 売上高
- 売上原価
- 販管費
- 営業利益
- 営業利益率
ユニバーサルエンターテインメント2025年12月期売上高1,228億円売上高営業利益率-2.6%
| 就任年 | 社長氏名 | 役職名 |
|---|---|---|
| 2006年 | 富士本淳 | 代表取締役社長→代表執行役→代表取締役副会長→代表取締役社長 CEO CIO |
| 岡田知裕 |